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映画会は盛況

お知らせするひまがなかったのですが、昨日近くの河東コミセンで、アベ元首相を描いた「妖怪の孫」の上映会がありました。「むなかた九条の会」の主催です。
 連休最後の日でしたけれど、ずいぶんたくさんの方が参加して下さって、うれしかったです。

アベ元首相という人は私にはずっといまひとつわからない人だったのですが、この映画で新しく得た情報としては、ぶっちゃけちゃんと育ててもらえなかった人なのだなあと知りました。父の安倍晋太郎という人はそれなりに立派な政治家だったようですが、どうしてこれだけ息子を放ったらかしたのでしょう。複雑な家庭の状況もあったろうし、いろんな意味で趣味に合わない嫌いな子どもだったのだろうかと思うけど、そこはもう私などには想像もつかないけれど、もうちょっとだけでも、ていねいに育ててやっておけば、もう少し何とかなったような気もしないではない。

その後の青春時代でも、彼は教師や指導者や友人に愛されても尊敬されても大切にもされていない。どことなくバカにされてるし、お粗末なできそこないとして扱われている。一足飛びに言ってしまうと、日本社会と戦後と私たちが、見限って粗末にして黙殺無視していたものに復讐されたのじゃないかとさえ思えないではない。

彼が貧しかったり不遇だったりしたら、まだ何とか周囲からも親切にしてもらえたのではないかと思うのです。でも一応エリートだから、またそれ故に羨望やら嫉妬やらもあいまって、粗末にされてバカにされて、本人もしょうがないから、そのしょうもない環境や経歴で勝負しようとして、ますますバカにされて、どんどんうわべのごまかしと、すりよってくるくだらない連中にはまって行くしかなかったのではないか。

そうやって育ったしょうもない存在が、その場しのぎのごまかしと、権威のひけらかしと脅迫によって周囲を支配しつづけようとしたら、そんなに低級で下品で粗雑なやり方に慣れていない周囲の、本物のエリートたちはひとたまりもなく脆弱さをあらわにするしかなかったのじゃないか。

強面の凶暴な国会答弁、お粗末な嘘で塗り固めた小手先だけの対応、そういうものに次々と屈して行った、マスメディアや官僚や私たち。あらためてそれを映像や記録で確認するにつけて、私たちが粗末にしてきたごみの集積みたいなものが、アベ政治に吹き溜まったのだと感じました。それはひょっとしたら世界でもそうなのかもしれないけど。

あらためて私たちは、周囲と自分を大切にするしかない。感性と理性をとぎすまし、自分も含めて、人を決して粗末にせず見限らず、ていねいにいたわって育てて行くしかない。

アベ元首相を見ていて、漠然といつも感じていたのは、被害者意識と不幸そうなことでした。上に立つ人の余裕や責任感、弱者への優しさがまったく見えなかった。いつもむしろ自分が弱者の立場でふるまっていた。実際、最後まで彼はそのような強者としての余裕も幸福感も感じたことはなかったのではないかと思う。限りない欲望や、愛されること、認められることへの飢餓感。そんな人は実はとても多くて、そういう人たちが彼やトランプやプーチンに引きつけられて行くのかもしれません。

めちゃくちゃ感覚的な感想ですみません。機会があればまた書きます。ちょっとは庭いじりもしようかと思って、昨日安い花を少々買って来たのだけど、今日も朝から雨。植えるのは明日かなあ。

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カツジ猫