昨日に引き続き、
◎むなかた九条の会の9月のチラシです。
と言っても、これは使わなかった分です。来月使うかもしれません。(笑)他にもいくつかあるので、おいおい紹介します。
転載、複写、引用などは、ご自由にどうぞ。
【僕たちは日本をとても尊敬していた】
今、安部首相が「憲法を変えなくても海外で戦争ができる」ために国会で認めさせようとしている「集団的自衛権」。
この名前が生まれたのは、第二次大戦後のことです。あのような戦争をくりかえすまいと国連が作られ、個々の国々が武力で衝突することを避け、侵略の発生には国連で話し合って制裁を行なう「集団安全保障」体制が決められました。その時にアメリカや旧ソ連が、国連に縛られずに軍事行動ができるようにしようとして、国連憲章に盛り込んだのが「集団的自衛権」です。
つまり、世界の平和をめざす国連の精神とは、その始まりから、まったく対立するものでした。早い話が、強国、大国のわがままから生まれたものです。
戦争はどれもいたましいものですが、中でも「集団的自衛権」の名のもとに行なわれた戦争には、ろくなものがありません。アメリカのベトナム戦争、旧ソ連のアフガニスタン戦争、アメリカの空爆の理由だった「大量破壊兵器」がついに見つからなかったイラク戦争など、どう考えてもするべきでなかった理不尽で悲劇的な戦争ばかりです。「同盟国が攻撃された」という口実で、地域の紛争に大国が介入し、それに他の国も参加させられる最悪の連鎖を生むもので、これで世界の情勢が好転したり、どこかの国が幸福になった例などありません。
「僕たちはね、日本がとても好きだった。とても尊敬していたんだよ。日本の技術は世界一だ。日本はあれだけすごい技術と頭脳を持った国なのに、その力を武力の増強や核開発に使わない、すごい国だと評判だった。お金があって、技術があって、それでいて高いモラルのある国。信頼できる国だった。だけど突然、君の国は、アメリカ側にくっついてイスラム社会に牙を剥(む)いた。イラクやアフガンに襲いかかった。僕らはとてもガッカリしたよ」
第7回開高健ノンフィクション賞を受賞した中村安希の旅行記「インパラの朝」(集英社文庫)で、「物腰の極めて落ち着いた、成熟した雰囲気」で「難解な理論を持ち出さない清楚で健康な」パキスタン青年の一人が著者にこう言います。私たちの知らない遠いかなたで、私たちの日本は、こうやって高く評価され、そして深く失望されているのです。
「同盟国が攻撃されたらともに戦う」ことなどで、世界の平和は守れません。日本の誇りも守れません。私たちは、もっとちがった方法で、自分たちの世界と未来を守る方法を考えなければなりません。