昨日の夜も今日も
◎どんどん涼しくなって来て、ゆうべはカツジ猫が私のタオルケットの中にもぐりこんで来ました。
やつは今、ベッドの横の窓から、家の前の通りをながめるのにはまっていて、このところずっと私を相手にしてくれません。
そりゃ別にかまわないのですが、じっと窓辺に正座して道を見下ろしていて動かない彼は、猫の常で、かすかに緊張興奮すると、身体は微動だにしなくても、長いしっぽはびしばしと左右に打ち振られます。
で、それがちょうど私の寝ている顔の上。(笑)
眠りにつこうとしていても、顔の上を太いしっぽがいつまでも、毛皮のワイパーのように行き来するので、閉口します。
◎じゅうばこさん
モリアーティ論、笑いつつ拝見。愚痴の相手にしてごめん。
しかし、そのついでに愚痴っておくと、モリアーティはシャーロックをひそかにライバル視して観察してたというけれど、それは本当の観察だったのかねえ?
こういう自称ライバルも自称ファンも似たようなものだと思うのですが、興味を持っているわりには、その相手のことを何も見ていないし知らないし、知ろうともしないのが特徴です。
早い話が手っとり早くわかりやすいところで書くと、私が一番むかつくのは、私の性格や内面などというぜいたくは言いませんが、ごく表面的な私生活さえ、何も知らないで、いや、知らないということに自分でまったく気づかないで、まるで私のすべてを知っているかのように思いこんでいる(としか思えない)人が実に多いことです。
江戸時代の遊女のテクニックに「諸分(しょわけ)」と言うのがありましてね、自分の相手の客のすべてに、「好かれているのは自分だけ」と思いこませる能力だそうですが、私は最近、そんなもの大して努力しなくても得られる能力じゃないかと、やけ半分でよく考えます。
何しろ私とつきあう人の多くは、男女を問わず、私が自分以外の人と深いつきあいがあるとか、自分とつきあう時間以外に、またはそれ以上につきあっている相手がいるということを、まったく予想していないようですから。(笑)
ひょっとして独身女性の宿命ですかね。私が結婚して夫や子どもや家族がいたら、まさかそこまで踏みこまないだろう、私の人生や生活を自分のもののように考えないだろうというような、気を許したなれなれしさ、警戒なしの油断しっぱなしの行動や発言をする人が実に多い。
若いころは深夜に決して親しくもない男性から「おれよ、おれ」などと電話がかかってきて、私が今晩ベッドインしようともくろんでいる男(女でもいいけど)を家に連れこんでいる可能性など、この人の頭には皆無なのだろうな~と、イライラしっぱなしでした。
そういう人は私のこのブログを読んでも、私は毎日猫と遊んで本を読んでごろごろしてると思うのかね。
ゆきうさぎさんが、片づけやいろいろな人との交際で火が出るほど忙しい毎日を送っていても、白鷺と食用ガエルのことしか書かないと、彼女がのどかな田舎ライフを満喫してると思いこむんでしょうか。
ブログに書くのも、その人に見せるのも、私の人生の一部分、せいぜい一面で、その人のまったく知らない予定や計画や冒険や挑戦が存在すると、どうして予測できないのでしょう。現実の生活は舞台の書き割りじゃないのです。
私はたいていの人と、あからさまに、あけすけに、いろんな話を何でもしますが、それで全部と思われちゃ、いくら何でも心外です。
人に興味を持って観察すればするほど、その人と自分のちがいがわかり、理解出来ない部分があるとわかり、距離を思い知らされるものでしょう。本当に相手を大事に思い、一部分でも愛するのなら。
自分に見える、都合のいい部分だけを見て、相手と自分を同一視するなどというのは、相手も自分もろくに愛していない人間だからできることでしょう。だから私はライバルもファンも大嫌いです。(笑)
私がホームズ物を好きなのは、ホームズと同居しているワトスンが、あれだけ親しい仲でありながら、ホームズのことを完全に理解しているとか彼のすべてを知っているとか、決して思っていないことです。