昨日は母を
病院から選挙に連れて行きました。御天気が良くて助かりました。
何方かに会うかも知れないと思って母には紫のベレーや紅いコートで御洒落をさせて行ったのですが、丁度昼食時だったからか私の同級生の御姉さんから声を掛けられただけでした。懐かしかったですけれど。
母は「私の知って居る人なんてもう皆死んでるからね」と落ち着いて申して居ました。投票場の小学校の桜が満開で二人で見とれて帰りました。
母は病院で同じ高齢者の患者さんたちと交流や観察をして楽しんで居る様です。其れなりに家で自分で生活して居たので、入院したら認知症めいて来るのではと、やや気に成って居るのですが、回りに人が多い分刺激も有るだろうし、どちらが良いのか分かりませんね。
最近色んな方から「貴女が御母さんの犠牲に成ってはいけない」と忠告されます。そう言って貰えると有難いし気持ちに余裕も出来ます。
母を病院に送った後、昨夜は開票速報も見ずに仕事をして寝て仕舞いました。今朝は大工さんが来てくれて、母家のリフォームと家具の処分の打ち合せをしました。棟梁は大層腕の良い大工さんですが農業もして居て、「田圃は毎年50万赤字が出る。負の遺産だ」と嘆いて居ました。民主商工会でサラ金問題にも取り組んで居る方で、諫早の干拓問題、原発問題、農協問題等、話が弾みました。「石原都知事は支持しないが、パチンコと自動販売機の縮小撤廃には大いに賛成」だそうです。
月末には市会議員の選挙が有って、また母を連れて行くので、コートも帽子も其の儘壁に掛けて置きました。
じゅうばこさん
伊達直人出現の折も話題にした事ですが、寄付する人、善意を形に示す人の不安や躊躇がどんなに大きいか、其れを取り除いて其の様な気持を大切に育てる事がどれだけ大事で困難か、寄付や奉仕活動に慣れて居る人程気付かないのかも知れません。
人を助けよう、いたわろうとする人は、いたわってあげなくてはいけません。その人も大きな勇気を振り絞って一歩を踏み出して居る場合が多いのだから。