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曽野綾子のコラム(2)。

◇今日は簡単に。

直接移民や介護のことではないが、曽野さんのコラムで、「白人、アジア人、黒人は別に住んだ方がいい」という言い方に私がそれほどショックを受けなかったのは、こういう知的で海外のことも詳しい女性が、「黒人といっしょに住むとか絶対ムリ」(曽野さんは、そうは言っておられないが、そうなんじゃなかろかと思わせる書き方ではある)みたいなことを言われるのに、私はデジャヴみたいな免疫があったからだ。学生か院生のころに読んだ桐島洋子さんの本で、多分彼女はその中で、黒人とかその生活に対する生理的反発を、曽野さんのコラムよりもずっと率直に具体的に書いていた。手元に本がないので、記憶でしか書けないが、黒人の手のひらの色だけが黒くないのが理屈じゃない嫌悪感を感じるみたいなことも書いていた。

当時、桐島洋子は未婚の母ということで、女性を中心に大変注目され人気もあった。私は彼女は特に好きでも嫌いでもなく、私が人生歩んで行く上で特に困ったことをしたりじゃまになることをしたりはしないだろうという点では、安心し信頼してもいたような気がする。道の反対側の歩道を歩いている猫を視野に入れている、こっち側の歩道を歩いている猫のような気分でいた。
その人が、こんなことを書いているのを見て、「現実に異国の人たちとふれると、こういうことも出て来るんだな」と思ったし、「こういう人がそこまで言うならそりゃしょうがないなあ」とも思った。ということは同じように「日本人の黄色い肌だけは何とも気味が悪い」とか感じる白人や黒人の人だっているんだろうと思ったし、まあいろいろと、一筋縄ではいかない、難しいことがあるんだろうなと感じたのを覚えている。

(私の母は、国文学以外の授業は皆英語という、ミッション系の短大の寄宿舎にいて、先生の大半は外国人の宣教師だった。そして母は、その先生たちのことを尊敬も親しみもしていた一方で、軽蔑も嫌悪もしていて、「アメリカ人は平気で裸で昼寝したりして野蛮だ」とか言っていた。それは少女の時に外国人宣教師の秘書兼通訳として各地を回っていた祖母も同様で、「日本の習慣とか何も知らないで、がんこだから本当に困った」とか話していて、崇拝や敬慕はまるでしていなかったが、さりとて劣等感や優越感も全然なかった。
きわめて等身大の外国人像を私は二人から、何となく受けて来た。下で紹介する同僚の先生もそうだが、そこに住む人たちと直接ふれあう経験の多い人ほど、そういう嫌悪感や拒否感もまた持つ。それが現地の人を知りもしないで拒絶し嫌悪する差別意識と、つながり、重なる危険性の程度は私にはまだよくわからない。)

しかし本当に桐島さんの本だったんだろうか。まちがってたら、えらいことになるぞ。
今もあの文章は残っているのかどうか、それも定かではない。
でも他にそんなこと書けそうな人、あの当時私が読んでた本の作者の中にはいないんだよなあ。私が宙から思いつけるような内容では、もちろんないし。

◇今回のコラムで曽野さんが出しているアパートの例は、生活習慣のちがいで、こういう生理的な嫌悪感とはまたちがう。この例もいろんな点で乱暴で、じゃ水が出てれば問題はなかったのかとか、そういう大家族がふつうの種族はアジアにはないのか、黒人だって種族によっていろいろじゃないのかとか、短いコラムで説得するにはあんまり雑すぎる例だと思う。アフリカに詳しい曽野さんなら、もうちょっといい例も出せなかったのかと思うが、まあそれは大きなお世話だろう。いい例なんかなかったのじゃないかと思うのも、邪推がすぎるだろう。

しかし、よくのぞくツイログを見ると、今回の問題に関し、このコラムを支持する人の中には「黒人の握った寿司が食えるのか」と言ってる人もいるらしく、そうなると曽野さんはそこまで言ってなくても、やっぱりそこには、生理的な嫌悪感みたいなものも関わってくる。

ちなみに私は、この「黒人の握った寿司が食えるか」という発言だか発想だかには、呆れるとか怒りとかを通り越してもう本当に爆笑した。食えるよ。ってか食いたいよ。もう、そういう踏み絵もどきを考えつく人の方が、よっぽどすごい。すごすぎて、ちょっと会って話してみたくなる。きっといろいろ、面白いこと言うんだろうなあ。私には絶対考えつかないようなことを。

◇しかし、私のこの感覚もまた、いろいろと考えれば問題になりかねなくて、まあ生理的好悪っていうのは皆そんなもんだが。
そのツイログをはじめとして、今回のこういった問題に、あくまでも、きちんとまっとうに反論して下さってる人たちがちゃんといるから、私がこういう横道に迷い込んだようなつまらんことを、いろいろ書けるので、その点は本当にちゃんと反論して下さる方々に感謝している、その上で書くのだが。

私はさっきの、「食えるよ、食いたいよ」に続けて、思わず「猫が握った寿司だって、ネズミが作ったケーキだって」と書こうとしかけて、それはある人種の方を動物扱いすることにもなって、失礼だろうとやめたのですが、しかし、私の姿勢にはたしかに、そういう、好奇心やらあまのじゃくやらと言った意識と区別できない部分はあるよな。

◇昔、同僚の大学の先生で、どういう意味でも差別意識などない、自由な精神の男性(まだ地下鉄の自動改札が全国でも珍しかったころ、その方は、切符を入れる代わりに硬貨を放りこんで見たら、たちまちすごい音のブザーが鳴って、駅員がわらわら駆けつけて来たそうです。「どうしたんですか!?」と詰問されて「いや、ちょっと手がすべって」と言いわけして、それですんだらしい。「何でそんなことしたんですか?」と聞いたら「うんまあ、ちょっと、どうなるんやろかなあ思て」ということでした)が、何かの話のときに、同和地区に行くとやっぱり独特の生活習慣があって溶けこめないことがあるとぼやかれました(そういうことがぼやけるほど、その方は、いろんな地域にボランティアのような活動をしに行っておられたということでもあるのでしょう)。

私は若かったし、そんなの自分は絶対気にならないと反論し、たとえばどんなことがあるんですかと聞いたら、「おにぎりとか、泥のついた床の上においてあって、それを食べたりする」と言われました。私は「そんなの平気。どうってことない。私は食べます」と言ったら彼は「そりゃあんたは食べるだろうが、それは食わずにいるもんかという意気込みで食うんやろ」みたいな言い方をしました。
私はうーんと言っ
て反論できなかった。まあ私の人生だいたいすべてがそうですから、区別ができなかったこともあります。

◇それは、あまのじゃくというか負けん気(と区別がしにくい部分)の方ですが、好奇心という点では…。
前にも書いたかしれませんが、昔、日本近世学会の、えらい先生方を10人近くお連れして、ある喫茶店に入ったことがあります。そりゃもう、江戸文学の各方面の重鎮の大先生ばっかりで、それぞれ相当のご年輩でした。
そんなにどうってことない普通の喫茶店でしたが、特に奇をてらうのでもなく妙なメニューを出すところで「ぜんざいコーヒー」というのもあって、私はときどきその店に行ってたのですが、飲んだことはありませんでした。

先生方はにぎやかに騒いでメニューをあれこれ、おちょくりながら検討し、もちろん「ぜんざいコーヒー」をやり玉にあげて「どういうものなんだいったい」と推測してバカにしてました。ところが、いざ注文をとりに来たら、半分近くの先生が、それを注文したのです。
私もつられて初めて注文しましたが、それはグラスにあっさりめのぜんざいが添えられた、なかなかおいしく趣味のいいもので、先生たちも満足していたようです。しかし、もっと、ものすごいものが出て来ても、それはそれで大喜びされたのではないかと思います。

その時はそうでもなかったのですが、後になるほど、じわじわ効いてくる思い出で、そのたびに痛感するのはその道一筋、一芸に秀でた、何でもいいけど偉大な学者とかいう人たちは本当に挑戦好きで好奇心の鬼だし孤立も孤独も異常も恐れない、そもそもそれが何なのかも知らないのだろうということでした。
もうほとんどの方が今では亡くなられました。私より若い方々がその後をついで偉大な研究者になっています。でも多分、その人たちも、そしてあの老先生たちもご存命なら、それこそ一瞬のためらいもなく「黒人の握る寿司」に殺到するんじゃなかろか。そして、でもそれは差別意識のなさなのか、好奇心という名の差別意識なのか、もはや私にはようわからん(笑)。

◇ただ、学者や研究者が皆そうかというと、それはもちろん場合によってはいろいろで、たとえば大相撲に外国人力士がまだ少なかったころ、何かその関係の偉い方だったドイツ文学の高橋義孝教授は、たしか、それを嘆いて国技である大相撲はやはり日本人力士でないと、みたいな発言をされていたと思います。
もっとも私がそれを覚えているのは、むしろ私にそのことを話したあとで、「んなこと言うなら(日本人でドイツ文学研究してる)おまえの立場はどうなるんじゃい、と言いたくなるよね」と呵呵大笑した、後輩の若い近代文学の女性研究者の痛快さが印象に残っているんですけどね。

◇やだ、やっぱり止まらない。ますますとりとめなくなるので、今日はこのへんで。

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カツジ猫