最後のユリ、最初の朝顔
熱波の中、よく咲きつづけてくれたバラとユリも、そろそろ終わり。このあとは、ジンジャーとサルスベリかな。どっちも酷暑に負けないだけあって、荒々しい感じの花たちだけど。
多分、最後になるだろうユリたちが、高々と伸びて今にも咲きそうだ。切って飾る勇気があるかなあ。

去年、ひもを張って表庭に広げた朝顔が、その後の種をとるひまもないまま、放りっぱなしにしていた。そうしたら、どこからかこぼれ種が根づいて、いくつかひょろひょろ、つるが伸びた。感心しながらそのままにしておいたら(水だけはやってた)、とうとう今朝、最初の一輪がきれいに開いた。申し訳ないような、はげまされるような。

今朝は久しぶりの俳書の読書会。皆さまお元気で、九州博物館の国宝展に行く相談をされていた。私も誘われたが、最近の体調では、休んだりトイレに行ったりするのが自分でも予測がつかない気もするので、団体行動には自信がないので、いずれ一人で行くことにした。最近、あまり近くでこれという催しがなかった(万博で皆、そっちの近くでやってるんだって話もある)ので、大変に楽しみではある。
あいかわらず、わからない句もあって、
鶯や柏槙に直る借家がえ
という句で、柏槙というのは「びゃくしん」と読むしかないのか、それでは字余りになるけど、とか、そもそも句の意味は、借りている家を引っ越したら、庭の木に鶯が住み着いていた、みたいなことか、とか、考えていたら、辞書を引いてくれた方が、「柏槙」は「いぶき」という樹木のようです、と教えて下さって、それならいいかということになった。「ゴッホの絵みたい」とどなたがおっしゃったが、この木は昔、私の実家にあったような。もしかしたら、今の庭にも、こぼれ種で似たのが生えかけているような。
もうひとつ、
矢をいるゝ石のひゞきや朝柳
という句もあって、「矢を入れる」って石に矢を射て食い込ませるってことか、一念岩をも通すみたいな故事か、それにしたってよくわからない、とか考えてて、これも辞書で「矢」には「くさび」の意味もあって、大きな石を割るときに、まず穴を開けてくさびを打ちこんで割るのが、昔から「矢穴技法」というので存在する、とわかって、それで解決した。要するに朝ドラ「あんぱん」のヒロインの実家の石屋の店先の風景か、とかも思ったけど、もっと古い技法のようですね。それにしても、あの釜じいは大丈夫なんだろうか。演じてる吉田鋼太郎好きだから、もうちょっとがんばっていてほしいのだが。
昨日だっけ、朝うっかりつけっぱなしにしておいたテレビの選挙公報で、立花なんちゃらが酔っ払いみたいに吠えていた。政見にもなんにもなってないような、、泣き落としやら脅かしやら、見ていてまったくげっそりしたが、もしかしたら参政党にお株を奪われて、若干影が薄くなって色褪せてるのに、あせってるような感じもした。多分、参政党の方が資金は潤沢なんだろうからな、知らんけど。それにしたって、この種のスタイルの呼び水になった責任は重いと感じる。
参政党と言えば、先日若い人から「選挙ですね」と水を向けられたので、「まあ私と意見がちがう候補者はいてもいいんだけど、参政党は言ってることや公約がころころ変わるから、あれだけはもうまとも相手にしようがないし、投票の対象にもなりようがない。選挙の後で公約が変わるのも困るけど、選挙期間中に変わるんじゃ、お話にならない。自民党がいやだからどっかないかと思っても、あそこにだけは入れないほうがいい」と言ったついでに、「私は安倍さんが嫌いで、今の自民党はまだあれよりましと思ってるけど、とりあえずそんなに自民党がいやだったら、一番自民党がいやがりそうな共産党に入れるのがいいのかなと思ってる」と言ってしまった(笑)。
いや、れいわでも社民党でもいいんだけど、自民党が嫌いで保守的な人に一番抵抗ありそうなところを大っぴらに支持して見せて回る方が、この際効率よさそうな気がしてさ。