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月桂樹の葉っぱ。

◇この前、裏庭に栗を拾いに行ったとき、そこに植えっぱなしにして勝手に育っていた月桂樹(一度なんか根から切ったのよね。でもまた今は私の背の高さぐらいになっている)の葉っぱをふと数枚むしって帰った。料理に使えないかなと思ってネットで見たら、一回洗って煮て乾かしてとかあるので、その通りにしてお菓子の入っていた網袋に入れて風呂場に干した…っきり、忙しくて忘れていた。昨日、久しぶりにゆっくり風呂に入ったら、浴室中に妙にかぐわしい匂いがする。何これと思ったら、月桂樹の葉の香りで、思わぬ快適さを楽しんだ。そのあと葉っぱを豚肉と玉ねぎとワインといっしょに煮たら、これもなかなかいけた。
味を占めたので、またちぎって来てつるしている。

◇野球のシーズンはカーラジオはどこも野球中継ばかりで、別にきらいでもないからぼやっと聞いているのだが、福岡の放送局だから当然ソフトバンクホークスに肩入れした中継になっている。
遠い昔、まだ女性が野球なんか全然興味がなかった大正時代、私の母は六大学野球に熱を上げていて、なぜか縁もゆかりもない慶応大学のファンだった。私が生まれて子育てをしていた一時期だけが忙しかったため少し応援の空白期間で、その時期だけ慶応の選手の名前を覚えていないとときどき言っていた。
母はプロ野球も一応は見ていたが、何しろ慶応の選手が行ったチームを応援するので、特にひいきのチームはなかった。その影響からか何となく私もどこのファンということはない。ただ、恐ろしいことに最近ではラジオをつけてアナウンサーと解説者の口調や声を聞いたとたんに、あ、ホークスは今負けてるなとか勝ってるなとか何となくわかるようになった。それはそれは、とても微妙に、声のはりや艶がちがうのである(笑)。

で、そのソフトバンクホークスだが、あれだけ大差でリーグ優勝しておいて、現在何だかボロ負け中なのが福岡中をいらいらかりかりさせている感じがする。昨日など最後に逆転されていて、工藤監督がインタビューで「お客さんがクライマックスシリーズに来てくれるだろうから、まあこれはこれでいい」とか言ってるのを新聞で読んで思わず笑いをかみ殺した。たとえ部屋の中に一人でも、福岡にいて大爆笑する勇気は何となく私にはない。

◇さてその母は、めでたく誕生日を迎えて97歳になった。マジであっさり100まで生きてくれそうだ。このところ、ばたばたしていて、プレゼントを買ってなかったので、大慌てで街に行って博多駅のアミュプラザで、「装苑」のデザインとかいう、赤いリボンがいくつもくっついた、華やかでふわふわ暖かそうなカーディガンがあって、予算もかなりオーバーだったが、買ってしまった。きれいな若い店員が「お似合いですよ」というので、「97歳の母のバースデープレゼントなのよ」と言うと、たまげていた。「これを着られるなんて素敵ですねえ」と感心するので、「毎年、クリスマスと母の日と誕生日に、プレゼントをけちりそうになっては『まあ来年はないかもしれないから、後悔しないようにしよう』と思って奮発するんだけど、それがもう5、6年続いてるんだわさ。まあいいや、母が死んだら私が着るんだからと自分をなぐさめてるのよね」と愚痴ると、「まあそんな」とか言いながら笑ってきれいに包んでくれた。そのあと、丸善で、猫の鳴き声でハッピーバースデイトゥーユーを歌うカードを買い、小さいケーキと花も買って母のところに行って、いっしょにケーキを食べた。「あと3年だから100までは行けるやろ」と言ったら、母はげらげら笑っていた。

母と言い猫と言い、長生きしてほしいが、私より先には死んでほしいので、心の底から全力で「いつまでも元気でね」と言えないのが、ちとつらい。もしかしたら、カツジ猫がいつもちょっと悲しげなのは、そのせいなのかと、いやまさか。
自分の好きな人や大切な人や、もちろん動物も皆死んでしまって、愛するものがなくなって孤独な中で死ぬのは、そんなに悪くないよなあといつも思う。最後に船を離れる船長のように、大事なものを皆送り出してから一人で最期を迎えるというのは、最高のぜいたくだって気がいつもする。

◇29日の戦争法反対の実行委員会の詳しい話は、また時間がなくなったから明日にでも書くが、成立したのかどうかも怪しい法案だから「案」を取るのもむかつくし、そこも問題にしたい、しなければいけない一方で、もうそれを実現させる準備も始まってるわけだから、それもチェックしないといけないし、おまけにそれ以外のことでも国連に行った首相も、お留守番の菅氏も、何ともういろいろと、見逃しようがないアホなことを言ったりしたりしてくれるんだろう。さち・ド・サンファル!さんが「死ねとはいわんが寝ててくれ」と言っているのにまったく同感だ。何もするなよ、頼むから。犬や猫がときどき脚にうんちをつけたまま家じゅう歩き回って、飼い主を悶絶させることがあるが、まったくそれにそっくりだ。しかも、もちろん、犬や猫のようにかわいくない。

首相が何もわかってないし考えたこともないと世界に示した、難民問題については、私だって詳しくもないが、Kumikoさんのツイログで、この問題をよくとりあげてくれるので、日本が難民に本当に冷たいこと、受け入れないし、その処遇にも冷酷で残酷だということはぼんやり知っていた。積極的平和主義とか言うなら、まず難民の受け入れだろうと普通に思ってもいた。
首相の演説もひどいが、最近ネットで話題になってる、誰かが描いた難民を攻撃するイラストと文章がまた、見るだけで心が凍りつくほどひどい。難民本人はもちろん、それに真剣にかかわる人たちがこれを見たら、日本という国も日本のアニメ風の絵も、理屈抜きでもう二度と生きてる間、目にしたいとは思わないだろう。

シェンキヴィッチの小説「クオ・ヴァディス」で、皇帝ネロがキリスト教徒の大虐殺をはじめようとしているとき、ローマ市民がそれに乗せられて「キリスト教徒を獅子に!」と街頭で叫んでいるのを聞いた主人公の青年ヴィニキウスが「畜生、あの皇帝に似合いの民衆だ!」とうめく場面がある。ついつい、それを思い出す。

◇「シールズ」の奥田さんは、家族と自分への殺害予告の手紙が来た件での記者会見で、その犯人を終始「手紙を出した人」とだけ呼んで、決して犯人呼ばわりせず、対話ができる相手との姿勢を崩さなかったそうだ。きちんと行動し戦っている人だから、そういう優しさも強さも持てるのだろう。私がこれだけ陰惨な

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カツジ猫