朝っぱらからベートーベン。
◇仏間(この呼び名を本当に何か考えなくちゃいけないのだ)で、線香が燃える間に読んでいる読書が今「ハワーズ・エンド」なのだけど、その中で音楽会の場面があって、ベートーベンの第五交響曲の説明が、あんまり面白かったので、ついツタヤでCDを借りて来てしまった。クラシックのCDなんてろくになく、カラヤン指揮のどでかい全集みたいなのしかなく、ディスクが5枚も入っていて、私のおんぼろプレーヤーだから音質もよくないけど、まあいっか。
説明と言うのは内容や由来じゃなく、あくまでどんな音かという印象を、ずーっと書き続けているのが、笑えるし楽しい。この時の客席で、主人公の姉妹の妹ヘレンの方がまちがって傘を持ち帰る、ちょっと階級だか階層だかの低い平凡な男性の暮らしに、今は話が移っている。
この姉妹マーガレットとヘレンは、英国人だがドイツ出身で、そこが上流階級の中では微妙に異分子である。そういうことが原因かもともとのDNAか、この二人それぞれのいささか型破りな独特さはすごく好感が持てるけど、少し以前に書いた、恵まれたセレブやエリートのむとんちゃくな残酷さも時々かいまみえて、この二人というより、それで思い出す過去に会った実在の人のいろいろの記憶に、あらためていらっとさせられる。毎回くり返すが、私自身にもあって周囲から許されているだろう、あんたそれあんたがやったらたたのバカではすまんのだよと言いたくなるような、どこまでが無意識かわからない、鈍感な無邪気さ。おかしな言い方だが、そのセレブさが、どこか(家柄や金や学歴とはまったく関係ないところの)育ちの悪さとも合体したときが一番救いようがない。そして、多分こういうところをすかさず鋭く、そしらぬ顔で描きだす作者も相当意地が悪い。
◇映画「ボブという名の猫」は、29日まで上映しているようだ。もう一回ぐらい見に行きたい。純粋にボブの顔だけでも見ていろいろ救われたい。もはや大明神だ(笑)。
この映画の原作「ボブという名のストリートキャット」が大学の生協に注文したら、品切れで再版の予定もないとのことだったから、速攻でアマゾンで買って読んだ。私は映画館で第二作を買ってそれも読んでいるのだが、どちらも同じぐらい面白かった。作者は素人なので、とても素朴な誠実な語り口なのがかえって好もしい。
ただ、ボブがこの青年に拾われて、双方こんなに幸福になるのを見ていると、あらためて8万を超える実刑判決要求の署名が集まった猫虐殺事件の犯人と犠牲になった猫たちのことを思って、またしても暗澹とする。人と猫がめぐりあい、家に入るまでは、まったく同じ情景であったのだろうに。
寄せられたコメントを見ていると、犯人は妊娠中の母猫もいたぶって惨殺していたらしい。ここでも紹介した英文のメッセージをチラ見していると、その行為のいろいろがさらに細かくわかるのがやりきれない。
この犯人の実刑も望むが、そもそもこの男が残虐行為を投稿して人気者になっていた動物虐待愛好家とやらのサイトが野放しにされて公開されていたことの方が、信じられない。
Kumikoさんのツイログで、女性や外国人や難民へのひどすぎる行為の数々が公認されていることが、よくとりあげられている。少し前にはAVで女優を真空パックにつめこんで呼吸困難になって苦しむさまを楽しむ映像の、どこが悪いかと言う人たちが多いことも紹介されていた。
まとめて言うのも何だけれど、こういう話を聞くともう、日本はクズだとつくづく思う。
この国に誇りを持てとか守れとかいうのなら、その前に、この狂った感覚の横行と容認を、とにかく一刻も早くとめるのが先だろう。政治も司法も社会も、あらゆる努力をして。コメントの中にもあるが、こんなことを放置黙認している国でオリンピックを開く予定だがいいですかと、いっぺん世界に確認しておけ。
猫たちが虐殺された現場では、26日に献花と奉経が行われるとか(コメントの下の方にある関恒宏という方のコメントです)。私はもちろん遠くて行けないが、同じ時間に猫や犬たちの名を刻んだ私の個人墓にお参りに行こうかと思っている。名前もない、殺された猫たちを、せめて私と動物たちの墓に迎え入れてやりたい。