朝っぱらから心臓に悪い。
◇今朝来た郵便物をよりわけていたら、うれしいお便りもいろいろあったのですが、それに混じって銀行からあなたの現在の取引の残高というお知らせが来ていました。
私は叔母の遺した株だの証券だのは、ずっと以前にとっとと処分してしまって、今は定期預金ぐらいしかないのですが、何とそのまとまったお金が全然記載されてなくて、私が大ざっぱに把握してる預金高の10分の1ぐらいになっている。
少し前に支店がひとつなくなって、別の店と統合して、おかげで通帳の番号も変わるなど、いろいろごちゃごちゃしてたのですが、まさかそのどさくさで消えたのでもあるまいし、ひょっとして私がそろそろ認知症か記憶喪失で、数百万の金を下ろして豪遊したのを忘れているのかとか、これで老後の計画は10年ぐらい早く死なないとホームレスになるしかないぞとか、いろんなことを考えながら、一応相談窓口とやらに電話してみました。
折り返し調べてお返事しますということで待っていたら、かなりたってから電話があり、まあそんなことだろうとは思っていたのですが、廃止になった支店の分の預金が、統合先の今の支店の記録にまだ反映されていなくて、そこの分の預金はこの通知には記載されてないのだとか。
朝っぱらからいろいろと仕事の予定も狂っていたので、私は少々むかついていて、だいたいあれだけ政府に優遇されて保護されて、このせちがらい世の中に休日や夜は店を開けもしないで、振込料の手数料は何の通知もないままに抜き打ちで値上げするし、そんなのんきな商売してるのなら、せめて、する仕事ぐらいはしっかりしろとか言いたい気分になってましたので、もちろんそういうことは何も言わずに(笑)、猫なで声で、「いただいた文面だと、12月31日づけの残高ということになっていまして、もう、そちらで前の支店からひきついだ新しい通帳では普通に預金を出し入れしておりますから、当然その分は反映されているものと思ったものですから」「この文面には、国債、保険、証券などは記載しておりませんと但し書きがありますので、それ以外のものはすべて記載されているということを前提に判断したわけでして」と、私を知っている人なら恐くてさわれないほどていねいな口調で申し上げたあと、前の支店の分も反映させた残高を確認して、私の記憶通りとたしかめてから「お忙しいところお手間をとらせて、申し訳ございませんでした」と、にこやかに言って切りました。
それにしても、あの通知の文面は弁解のしようもなく不備でおかしいので、大学の文系の勉強を軽視するとこういうことになるという、ささやかな一例かもしれない(笑)。
まあどっちみち、私はずっと昔、この銀行の別の支店で、閉まりかけのシャッターが入りかけた私の頭の上に落っこちて、けがはなかったけど、メガネがゆがんだ時、一円の補償もしなかったのは、それもまあいいとして、明らかにそのシャッターのそばでお客に目を配るためだけに、ぼうっと立ってた若い女子行員が、大丈夫ですかとかすみませんとか一言も言わず、ただ「きゃあああっ」と悲鳴を上げただけだった時点から、もうこの銀行の行員への教育や指導には一片の期待もしていないので、今さらびっくりもしないですけどね。今思い出しても腹が立つ。私はだいたい、そういう場合じゃない時に、泣く人と悲鳴を上げる人は嫌いですが、そこで「きゃああ」はないでしょうよ、きゃああは。あれはとっさに自分が被害者面することで、責任逃れをするという本能で、まあ社員教育程度で改められるような人間性ではないだろうけどって、そこまで言うか(笑)。
◇おかげで今日は何かと仕事が遅れがち。田舎から取って来た鏡餅のカビをやっと落として、雑煮にしようとしています。しかし、カビがすごすぎて、ほとんど助からなかったなあ、鏡餅。来年はやっぱり、あの三宝を使うとしても、陶器のにせ鏡餅にするしかないかな。
◇ゆうべから、いやに寒いと思っていたら、今朝外を見たら雪でした。砂糖菓子のように細かい白い粉雪が植木鉢やテラスに積っています。ふとんで寝こけていたカツジ猫は、私が玄関を開けたすきに、するっと外に出たはいいけど、あまりの寒さに、いつもの地面でころころ転がるのを省略して、上の家の玄関まですっとんで行ってしまいました。そこで、よその猫の匂いでもするのか、キンモクセイの葉っぱをかいでいるところを私に抱き上げられて、あえなく朝の冒険は終わり。今は廊下の椅子の上で丸くなっています。さすがに毛皮を着ているからか、それほど寒さはこたえていないようです。
◇今日は上の家を片づけるにも寒すぎるので、下の家で書き物をする予定なのですが、それはそれで、大変にすることが多い。週末の講演の原稿もそろそろ送らないといけないし。
◇最後になりましたが、難民の人が送還中に心臓発作で亡くなったという件の裁判、毎日新聞の記事を見ていてもたいがいひどいと思っていましたが、こちらのツイログでも衝撃を受けている人が多いようです。本人が絶対に帰国したくなかったっていう、その状況がどんなだったか想像すると、いろいろもう、やりきれない。
「平家物語」の一の谷の合戦の場面で、沖の大船に乗るために浜辺から出る小舟に乗ろうとする人たちを、船べりにすがる手をばんばん切り落として、まさに「切り捨てて」舟を出すという描写がありますが、何だかそれを思い出してしまう。こういうことする時って、たいていもう負け戦で、先がないのだよなあということも含めて。
◇あ、またそれで思い出した。いや単に中世、源平の時代ってことだけで何の脈絡もないですけど(笑)。
昨日、ドックの間の待ち時間に、チェックを頼まれている小津久足の歌論の原稿を読んでいました。気軽な走り書きのようですが、何だか大変面白かった。
久足は「源氏物語」は外国にも誇れないし、つまらんとか言っていて、「枕草子」と「平家物語」をほめてます。そして歌人も時代が下ってからはあまりうまい人はいないけど、源実朝だけは別格にうまいと言っていて、「このうまさは異常である。ひょっとしたら、あんな死に方(暗殺)をしたのも、このすごく異常なまでの才能のせいかもしれない」みたいなことを書いていて、そういうことを感じる久足の感覚というのも逆にすごく面白い。