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本日も雨

これは庭の草取りをするなってことだな。(笑)

人づき合いをやめると言っていたのですが、そうもいかず、一昨日は友人とおしゃべり、昨日は大学の研究会メンバーで新しく新入生の院生の歓迎会。ささやかな集まりでしたが、若い人が増えるのはいいな~。それぞれ、秋成と歌舞伎が研究テーマで、歌舞伎をやる人はずいぶん久しぶりで、これも楽しみです。

30代半ばの一人(国史の先生)が、大学の授業で学生が悩ましげに顔をしかめているので、「何かわからないことがあるの」と聞いたら「ソ連ってなんですか」と聞かれてコケたという話をしていました。新入生の院生の二人は、どちらもソ連崩壊後に生まれた、つまり生まれたときはもうロシアだったとのことで、まあ、そういうことがあるのも無理もない時代なのか。

研究会の発表は伴信友の活動に関するものや、日本の蘭学の受容についてのものやで、哲学、書誌学、どっちからもいろいろ面白かった。すごく貴重な情報の数々が、ただでするする耳に入ってくるのは、大変なぜいたくかもしれない。

じゅうばこさん

私と先日しゃべった友人の知人たちも、ばりばりの職業人ほど「それは無理だろうなあ」という感想だったようで、まあ現実的な人というのは、はじめは普通はそんなものなんでしょうね。

その友人が気になることを言っていました。彼女はよく外国旅行をする人ですが、「チェルノブイリの事故のあと、風向きのせいでヨーロッパの土地や作物はたいがい放射能を浴びた。最初は大騒ぎしていたが、途中からはもうどうしようもないという感じで、ぴたっと報道がやんだ。小麦にしても、ぶどう(→ワイン)にしても、汚染されてるからってもうどうしようもないわけだから、警告も何もやめてしまったんだと思う」とか。
あくまで素人の個人の感想ですから、責任は持てませんが、これが本当だとすると、日本も今そのあたりをどうしようかと考慮中なのでしょうか。健康被害といった医療的な面だけでなく、世論操作という点でも、今は壮大な実験段階が進行しつつあるのかもしれません。放射能の危険と共存し、ガンの恐怖も想定内で皆が原発を容認する世界の可能性が探られているのかもしれません。

私はかりに私たちがその危険をうけいれて便利な生活を選ぶとしても、絶対にゆずれないのは、半減期が数万年もの毒物をどんどん地中に埋めて、未来の人類や生物に被害を与える生き方だけはごめんだということです。悲劇や悲惨は最低でも自分たちと、せいぜいが数世代あとでけりがつくようにしておくべきで、先が見えない未来に投げ渡すものではありません。ゴミの投棄と同じでしょうが、精神構造的には。
それにしても、友人のそういう話を聞くと、フランスの原発街道まっしぐらは、あれはひょっとして、ヤケになってるからなんだろうか。(笑)

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カツジ猫