松島紀行4点
「江戸の紀行文」の本の中で芭蕉の影響は、松島紀行にさえ少ない!と、言ってしまって今さらびびるのも何だが、気になってたまたま本棚にあった松島紀行類のファイルをのぞいてみた。
「松しま道の記」「みち奥日記」「松島行記」「松島紀行」、いずれも国会図書館の本だ。(4つが一冊のファイルにとじてあったので、ままよと、いっぺんに見た。)どうでもいいのだが、蝦夷紀行や九州紀行もそうなのだが、どうかもうちょっと、他と区別のつけやすい題名をつけてくれ、紀行作家たちよ。
それは昔、大学生だったころ、いろんな大学や出版社から出されている学術誌が、皆、「国文学」「国語と国文学」「国語国文」など、似たような、どころか時にはまったく同じタイトルで、「山辺道」などというのが中にあると、すごく感心し感謝もしたものだが、それと似た気分である。も~、タイトルぐらいもうちょっと工夫して独創性をねらえよや。芭蕉の「おくのほそ道」があれだけ有名になったのも、ちょっとはタイトルのせいもあるんじゃないか、もうまったく!
ぺらぺら読んでみたが、4つともそこそこ面白かった。「松島行記」は漢文だが読みやすい。そして漢文だと紀行に限らないが、短い文章で豊富な内容を伝えられるなあと、いまさらしょーもないことに感心する。何しろ助詞を書くスペースがほとんどいらないんだもんな~。(何という乱暴な言い方。)
「松しま道の記」は蝶夢のだった。発句もかなりあるが、文章部分が面白い。そして、よくあることなのだが、松島紀行と言いつつ、多分京都から出て延々木曽路を通っている。江戸の紀行には「長崎紀行」というタイトルの大長編で、結局長崎には行ってないのや、温泉入湯記と称して、往復の記事だけで入浴の部分がまったくないのもあるから、このくらいで驚いてはいけない。まあ、蝶夢のこれは、松島の記事もたっぷりあったから、ごまかしではない。
「みち奥日記」は巴凌ので、これだけが板本のようだ。京都の橘屋治兵衛の刊記が最後に小さくくっついている。「松しま道の記」もこれも宝暦ころの作で、わりと面白い。東照宮で「書とゞめ」たかったが、矢立が許可されなかったのでだめだったと書いているのが気になる。何だこれは。
これは江戸から出発している。
「松島行記」も江戸から出発しているが、これも日光の記事がやたらと詳しい。だから、題名だけで分類すると(しているが、しょ~がないから)、日光参詣の紀行はかなり東北紀行や松島紀行とかぶるから、実際にはとんでもない量になるのかもだよなあ。
最後の「松島紀行」(だから題名なんとかしろ)は朴斎道也の作のようで、面白そうだが、まだ読みはじめたばかりだ。
それにしても、最初の蝶夢の紀行をわかっていたはずなのに、山崎北華の「蝶の遊」としばらくごっちゃにしていた自分にショックを受けた。「蝶の遊」は芭蕉の跡をたどる軽妙な名作で、超有名なのに、まったくどうしたことだろう、私の記憶ときたら。
「蝶の遊」はともかく、蝶夢も巴凌もしっかり俳人なのに発句も紀行にあるのに、芭蕉の引用をこれといってしている部分はまるでなかった。まあ、血肉になっているという考え方もあるが、やっぱりそれほど影響があるとは思えない。雰囲気がもう俳人紀行でも他の紀行と同様、楽しい知的なものになっているし、それで十分面白い。というわけで、やっぱりまちがってはいなかったと、ひとまず、ほっ。(笑)
ゆきうさぎさん
今日はまた寒さがぶりかえすらしいですよ。風邪をひきなおさないよう気をつけて下さい。