栗とコーヒー。
◇今日も暑くてなんかやる気が出ない。洗濯物があっという間に乾くのだけがまあいいか。
上の家の裏庭に、崖の上の大きな栗の木から、いがつきの実が落ちまくってきていて、お隣の方に拾ってくださいとお願いしていたら、たくさん収穫があったとのことで、今朝おすそわけと言って、ちゃんと煮たのをいただいた。ほくほくして、朝のコーヒーといっしょに食べた。我ながら優雅やん。でもまた太る。
◇「しんぶん赤旗」をうちに配ってくださっていて、玄関先の茂った草を見かねて「私刈りましょうか」と言ってくださったこともある、共産党のTさんが、選挙の告示日の直前に動脈瘤で倒れて急死なさった。前の日に、共産党の立て看板を皆でいっしょに立てて、「立派なのができたやないか」と喜んでおられたのにと、私に知らせてくれた方はショックを受けておられた。細身で身のこなしも軽やかで、表情も口調もすべてが若々しく、いかにもお元気そうだったから、お若いと思っていたら、もう70代後半でいらしたらしい。そのことにも驚いた。
不謹慎なことに私は、何という幸福な死に方だろうと心から思ってしまい、「残された者はたまらないですけど、ご本人としては戦いの中で思い残すことなくお幸せでもあったのでは」と言ってしまい、まずかったかと思ったが、でも本心なのだよなあ。
もちろんいろいろまだまだ気にかかることもおありだっただろうけれど、節を曲げずまっすぐに、まっとうに、信念に従って生き続けて、自分も他人も裏切ることなく最後までアベやそれが象徴するものと対決しつづけたなんて、そんな一生と最期、なかなか得られるものではない。その代わりに犠牲にしたものが数多くあったとしても、人生の本当の価値を、しっかり手にして逝かれたという印象がある。
別に共産党ではない、知り合いの女性に話したら、やっぱり即座にうらやましい、すばらしいとくり返し、「よっぽど立派な、いい方だったんですよ、そんな死に方ができるのは」と言われた。
数日前の「しんぶん赤旗」の投書欄に、友人の方がTさんのことを投書して掲載されていた。それも、いい文章だった。機会があればまた紹介したい。でも、そこで私は倒れられたのが、仲間との囲碁大会の席上だったと知って、またまたああ何という幸福な最後の時間を過ごされたのだろうとうなり、やっぱりそれは本当にいい方だったのだろうから、うらやましがったりしちゃいけないと、ろくな死に方をしそうにない自分に言い聞かせた。
Tさんが、前の日に立てて喜んでいたという立て看板を、その内に見に行こうと思っていたら、投書した方がメールで送ってくれた。
見ていると、この看板の前で、満足そうに笑っているTさんの姿が、画面の中に見えてきそうだ。