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桜の次はつつじ。

◇今朝は激しい雨だったらしいが、ゆうべ夜更かししていたせいで、寝こけていて知らなかった。私の庭の小さい桜も雨でぺしょりとなって、どうやらもうおしまいらしい。代わって上の家の門柱の下にある、おなじみの源平つつじが紅色のつぼみをつけ始めた。
キンモクセイのやわらかい若芽は、そろそろ正体をあらわして、たくましく、もしゃもしゃ茂り始めている。そろそろ刈り込まないと、えらいことになりそうだ。

◇一喜一憂、一進一退は、あいかわらず続いている。というか、私の場合はこれが日常なのだなあ。下の家はようやく少し片づいたが、まだまだだし、上の家はそろそろ本棚の整理にかからねばならない段階になってきた。メールも手紙も書類も原稿も、返事を出すのがたまっていて、どこから手をつけたものか見当もつかない。

今日は非常勤先の大学で授業が始まり、教科書を売ったついでに、少し江戸の紀行文について、しゃべって来た。5時間目だから学生もさぞ眠いだろうと思うが、皆けっこうちゃんと起きていた。

この前の学期で、私にしてはかなり不可をつけてしまって、今回は何とかそういうことのないように工夫したいと思っている。教師もこのくらい長くやってると、談林派の西山宗因が言ってた「この年になったら人に言われるほどの欠点は自分が一番よくわかってる」とまでは行かないが、他人には絶対わからないような自分の教師としての欠陥が最近わかってきた気がする。就職した最初から、うすうすわかっていたことだが、長い年月を経て、あらためて確信した。私は授業を楽しくして、学生にわかった気にさせるのは多分、相当にうまい。そして、実際にわかってくれる学生も多いと思う(と、自分を慰めておこう)。

私の教師としての致命的な欠陥は、何もわかっていない学生にも、わかった気にさせてしまうことだ。言いかえれば「何を言われているのか、まるでわからない」「とても、ついて行けない」という絶望を、学生に味合わせることが私は下手だ。でもそれは、本当は実は非常に大事なことで、絶望することを教えないで、何もわかっていないのに、わかったつもりで楽しく授業を受けさせているのは、実は相当に残酷なことだ。

なんかこう、私が親鳥だったとしたら、ヒナの半数は飛び方をまだ知らないのに、あるいは半数近くのヒナは鳥ではなくてコアラか何かなのに、自分は飛べる気になって、枝からジャンプして地面に落ちてぺしゃんこになるのじゃなかろか。
不可になった学生たちは、多分授業を受けている間は、とても楽しかったのじゃないかと思う。そして不可とまでは行かなくても私が可だの良だのつけたレポートも、書いてる間は相当自信を持って楽しく書いていたのじゃないかという気がする。結果を見て、めんくらって夢からさめたような気になってるのかもしれないと思うと、かわいそうだ。それよりは、つまらない授業で、劣等感にさいなまれることがあっても、結果としてはいい成績になる方が幸福感が大きいにちがいない。

でもね、そういう授業って、やってるこっちがきついのよ。つまらなそうな顔で、恨まれながら教えるよりは、楽しくて面白い授業をした方が、確実にこっちも楽なの。だからつい、そうしてしまう。
そして、「学生の授業評価」だの何だのっていうと、もちろん、そういう楽しい授業の方が点数は高くなるし、周囲や上司の評価も多分いい。
しかし、そういうのは多分どっかまちがってますよね。少なくとも、そればっかりでは絶対にまずい。最近だんだん、そういうことに気がついてきた。

研究をしていても、小説を書いていても、その他の日常でも、ああ、昔はこんなことはわからなかったなあということが、次から次へと出て来るが、きっと100や200まで生きたとしても、まだわからないこと知らないこと気づかないことがあるままで自分は死ぬのだろうなと思う。

◇TPPの法案が審議入りしたらしいけど、ほとんどの資料が墨塗りで読めない機密事項で審議にならないらしい。で、首相は、「交渉事だから、明らかにできない」と言ってるそうな。わー。ここ宗像市で世界遺産にしようとしている沖ノ島だが、私は女人禁制が気になっているが、市民の多くはそれ以上に、「いったいこの先いくらかかるのか」と心配している。そして、「計画や予算を教えて」と、資料を請求しに行ったら、「ライバルに知られては困るから、たとえ市民にも見せられない」と言われたとか。それと見事に重なり過ぎて、笑えない。この論理で行くなら、もう国会も民主主義も不要だろ。そんなにして、情報公開しないでこそこそやってるから、聖火台のないオリンピック会場とか信じられないものができてしまうんだよ。

◇きゃ、もうこんな時間。寝ないと寝ないと。

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カツジ猫