横綱栃錦
高校野球もそうですが、大相撲も終盤近くなって来ると、もうすぐ終わるのかとちょっと淋しい。
今場所は上位の力士たちがわりと安定していて、久しぶりにまとも?な展開になっている。このところよくあった、下剋上の荒れ気味の主役不在の戦国時代風の状況も私はけっこう好きだったのだが、こういう落ち着いた正統的な緊迫感もたまには悪くないな。
祖父母や母といっしょにモノクロテレビを見ながら応援していたころの力士たちは、もう親方としてでも、まったく残っていない。母も百歳近い最晩年にはテレビを見ても「もう知ってる人もいなくなったねえ」と言って、あまり面白がらなかった。私もいつまで楽しめるのやら。
その代わり、昔、母や皆と交わした会話は今も覚えていることが多く、今の人は知るわけもないことを思い出せるのはありがたい。
子どもの私がテレビで大相撲を見始めたころ、横綱は吉葉山で、絵に描いたようなきれいなお相撲さんだった。栃錦はまだ若い横綱で、たしか肌は荒れていてお尻とかそんなにつるつるではなかったらしいが、土俵入りがものすごく迫力があって、今にいたるまで私はあれほど引き締まった鋭い土俵入りを見たことがない。映像がいいのがなくて残念だが、両手を打ち合わせたとき、びいいいんと響き渡る音がすさまじいほど空気を裂いた。人間的にも立派だったのか、たしか現役の時から、もういつ引退して理事長になってもいいと言われてなかったっけ。子どもながらに見ていてすごいと思った。
当時立浪四天王と言われた中の一人北の洋が、スピード感満載の激しい取り口で、栃錦との取り組みは毎回行事泣かせだろうなと思えるような土俵際の接戦で、物言いや差し違えがよくあったような気がする。
京都アニメーション放火事件の犯人に死刑判決が出たようだ。当然なのかもしれないが、私はここ最近、こういう時の基準が狂いっぱなしで、この犯人が死刑になるのなら、能登半島震災の時にあんな対応しかできない政府の人たちは皆死刑に値するのではないかとさえ感じてしまうから、自分でも本当に恐い。こうなるまで政治をこわして、金もうけに走って今もその姿勢を改めてないとしか見えない人たちが、殺した被災者って実際何人いるのだろう。それを言うならプーチンやネタニヤフもと言いたいが、私はあの連中は露骨に悪人なだけ、まだ許せる。中途半端に怠けて逃げて、自分たちが何をしているのかさえ、しっかりわかってない、自民党のお歴々の方がよっぽど我慢できない。
多分もちろん、この感覚はまちがっているだろう。あの事件の被害者のご家族や後遺症で今も苦しむ人たちには、許せない発言だろう。でも、私は首相や例の五人衆の人たちには知ってほしい。あなた方のことを、京都アニメーションの犯人以上に軽蔑し憎悪せずにはいられない私のような人間もいることを。狂っているかもしれないけれど、たしかに存在していることを。
あなたたちのしてきたこと、しないでさぼったこと、今もしていることは、それだけ許せないことなのだ。そういう考え方、感じ方だってあるのだ。知っておけ。