残暑。
◇涼しくなってはいるのだが、今日はけっこう陽ざしが強かった。朝、何となく水まきをしていて正解だったかもしれない。
灰色猫のグレイスは薬がきいたのか、少しだけエサを食べていた。チュールにまぜると、ほぼ文句を言わずに薬を食べてくれるのでありがたい。あまったエサは、白黒猫のマキに下げ渡しているが、どれも上等の品だから、マキも毎日ごちそうを食べていることになる。
おかげで今のところグレイスはまだ元気だ。しかし少しずつやせているような気はするし、いずれ時間の問題だろう。いっしょにベッドに寝ころがって、昔話をしたりしている。だが長年ほったらかしてたせいか年のせいか、彼女も子猫のころのようなべたべたぶりがなくなっていて、わりとあっさり離れて行って寝てしまったりする。疲れているのかもしれない。
◇北朝鮮の核実験が成功したらしいのは、いろいろと憂鬱だ。
今、バザーに出す前に読もうとしている本の中に「戦争と文学」というシリーズがあって、その中の「ヒロシマ・ナガサキ」という巻をちびちび読んでいるのだが、作家たちが渾身の力をこめて凄惨な体験を記しているのがものすごい。
不謹慎を承知で言うと、同じ悲惨で凄絶でも、同じ題材が書き手によって、さまざまな異なる意匠を見せているのも印象的だ。川上宗薫、井上光晴、それぞれの作家が、それぞれの特色をいやというほど発揮して、微細な心の動きや身体の感覚をえぐり出すように描いているのが、これも誤解を生みそうだが、日本文学と近代文学の豊饒さを思い知る。
これだけの体験を経て、なお人類は核戦争を拒絶できないのかと歯をくいしばりたくなる。いろいろと無念だ。
◇「ダウントン・アビー」のDVDに次第にはまってしまった。ほろびゆく貴族社会を描いているくせに、ほぼ全然退廃的でなく、やたらと元気に健康的なのは何でだろう(笑)。病的なところがちっともないのは、人によってはものたりないのじゃあるまいか。
ほろびる、変化する、ということへの否定的な感情が少しもない。「ブッデンブローク家の人々」とか「助左衛門四代記」とか、ああいう大家の凋落にまつわる空しさがない。
ベイツとかクローリー母子とかブランソンとか、異質で反発しあう存在を、次第にとりこみ、身内にしてしまう過程のくり返し、みたいなとこがこのドラマの流れにはある。昔いろんな小説や随筆で「ちがう文化をいつの間にか自分のものに融合してしまうのが日本の強み」みたいなことがよく言われるたび、外国文化も日本文化もよく知らないくせに私は子ども心にいつも、ウソつけと思っていた(笑)。このドラマを見ていると、これがもし日本で作られた日本の話だったら(というのも無茶な仮定だが)、「これこそが日本民族の特質」とか誰かが絶対に言ってたんじゃないかな、昔なら、とか思ってしまう。
◇おっと、そろそろグレイス猫に薬を飲ませに行かないと。