母と、母の母(17)
母と叔母が活水学院に行ってからまだあまりたたないころの手紙のようだ。故郷の親の気持ちってこんなものかな。母は私にいろんな讃美歌を教えてくれたが(軍歌もいっしょにね。笑)、その中の「まぼろしの影を追いて」という一曲は、寄宿舎で皆で歌うと新入生は決まって皆泣くのだったと話していた。まあ涙が大嫌いな母は多分泣かなかったと思うが。歌詞はこちらで。私が母に教わったのとは、あちこちちょこちょこちがいますけどね。「返らぬ悔いとならぬ間に とく神に帰れ」だったし。
故郷に残った末の息子の板坂元だが、学校から帰ってバナナ四本って、今ならともかく昔はバナナって超高級な食べ物だったんじゃなかったっけか。幼い私も、ずっと本物のバナナは見たことがなく、バナナと言えばお菓子としか思ってなくて、初めて実物を見て食べたときはおいしいと思わず不機嫌だった記憶がある。あれは戦後だからだったのかしらん。
ビガーって飴、私が子どものころもまだ普通にあったような。いさごは隣町の豊後高田の銘菓で今もある。祖父は明治の男性で、家以外では食堂にも入れなかったし、好きな小鳥関係のもの以外は買い物もしない人だったから祖母は不安だったのだろう。
末っ子の元(私の叔父)はこうやって甘やかされ、期待されていたようだが、思えばその元も戦争に行き、人を殺しもしたし殺されるかもしれなかったのだとあらためて考える。家にはずっと、星ひとつの模様のついたカーキ色の固い毛布があって、多分叔父が持ち帰ったものだったのだろう。この手紙に描かれるのどかな田舎の医者の家の風景には、そういう背後も常に存在したのだ。
もう戦争がたけなわになって大学生だった叔父も徴兵され近くの連隊に入隊したとき、つきそって行った祖母は帰宅後黙って何度も何度も、ふすまの前にかかったハンガーの叔父の着ていた服を手でなでていたと、母は私に話したことがある。誰も知らない、母以外には誰も見なかったその光景は、私がいつも見ていた、長押やふすまのその場所の姿の上に、私自身が見たように、今もはっきりよみがえる。そのことを祖母は誰にも話さなかったろうし、叔父も多分知らないまま、国文学者として長くかつての敵国アメリカで活躍した後、亡くなった。
祖母の手紙を読んでいると、こうしていつくしんで見守った子どもを戦場へ送り出すということがどういうことか、ぎりぎりと伝わって来る。私は戦争を知らない世代だが、そのことに何の意味も感じられないぐらい、祖母や母の気持ちは血潮の一部となって私の中を流れていて決して分離も排除もできない。
写真は今の私の家の庭に勝手に生えた苺のひと群。田舎の家にはあったかなあ。もう私の子どものころはなかったかもしれない。みかんの木はあったけれど。
その木の横に大きな鳥小屋があって、たくさんのニワトリがいた。ときどき祖父がみかんの木の枝にニワトリを首をくくってぶらさげてしめて殺していた。ばたつくニワトリの羽が日光の中に白く散りふぶいていたっけ。特に恐くも悲しくもなく子どもの私はそれをながめ、その夜のかしわ料理を味わっていた。
「増築の室」がどこにあたるのかはわからない。川に近い側の診察室だったかもしれない。青いペンキで塗られていたような気がするし。
御手紙有がたう その後もかわりなく無事で勉强してるとのこと 内でも安心しました 御父さんも相変らずお達者でそれはそれはよくお働きです 元ちやんも毎日々元気で登校し帰りますと先づお茶とバナナが四本よ それに又ビガーも一つかみいけます そしてこの頃は苺が毎日一人前位は色づきますので苺取りもしますよ それから二階に上って例のシヨウ木を一ぱい出して一人で何とか云って遊んでます 英語が新らしいのでよく勉强しますが先日から三度試験がありまして三度共百でした 学校はそう上級生共もいばりもしませんし又下級生を打ちもしませんそうな 上級学校には入る時にさわりますそうですからね 段々学校にも寄宿舎にも馴れたってね お母さんはそれのみ祈ってました あなた方二人を手許から離して見てつくづく思ひました 最とあゝもしてやってをけばよかったこうもしてやってをけばよかったと 朝も元を送り出す度に又学校から帰る度に毎日そうおもひますよ でも是から出来る丈ケのことはして上げます 病気せないやうにして夏の休暇には早く帰って居らっしやい たのしみに待ってますよ 去る十三日に江戸町のヒスさんから十四日に由郎さんが上京するからおばあさんを小倉まで迎へに出てくれとの手紙でしょ 十四は大風大雨でね 外出なんかとても出来ませんでしたけど仕方なく朝は早くから掃除して三時いくらの汽車の時間までバタバタして雨がつぱ着て出かけやうとしてた處に又おばさんから由郎さんが廿日頃となるそうだから廿一日は法事だそうで今度は止めて夏あなた達が帰る時に一處について行ふと云ってなさるそうですからつれて来なさい このきれいな内を見せてやりましょ それから去る十日に南生子のお裁縫の材料といさごの一番小さいのを一ツづゝ送って置いたが届きましたでしょか お父さんがいさごは御自分で買っていらしたのでとても心配よ 一寸はがきでも出して下さい 届きましたでしょ
今日は又白メンドリを五羽買ひましたよ 今みかんの花が真白に咲いてましてその香のいゝこと こんなにいゝ香がするのは初めて知りました 枇杷も沢山なって大分大きくなりました 増築の室も出来ました 是からペンキ屋さんがぬる丈けです お母さんも日々達者でかれこれして居ますから決して案じないやうにね 廿一日はあなた達の都合さへよければ法事に来て貰うとしてありましたが土曜でも日曜でもなし いやならことわっていゝよ 電話は今月中に取り付けます
返事のみ
母より
澪子様
(五月十六日)