母と、母の母(21)
長崎の寄宿舎にいた私の母への、祖母の手紙だが、今日はおまけからちょっと紹介。たまたまこの封書に同封されていた、母の叔父(弟にあたる板坂元)への手紙だかメモだかの走り書き。「私たちは恋人どうしみたいだった」としばしば豪語していた母のことばにたがわず、いっしょに六大学野球に熱を上げ、宿題の絵を代筆してやっていた、楽しげな姉弟の姿が浮かび上がってくる。読めますかね? 拡大できますよね?
これは更におまけで、叔母の写真。後ろの川と山を見れば、家の近くのもう廃線になった軽便鉄道の線路のそばだと思いますけど、叔母が若いなあ。
さて、祖母の手紙です。これは母宛です。
御手紙有がたう 秋も淋しいと云へばそれまでゝすが内の庭なぞにはあの可愛い紅葉が一本は眞赤に最う一本のもそろそろ赤くなりかけまして朝夕のながめも一入きれいになりましたよ 今朝は初めて冬の風見たいな少し冷めたい風が吹きお父さんは並痛のストーブ昨年買ったユンカーストーブもお世話で朝っぱらから仲々ですよ でもまだお昼間は火なぞ要りませんよね 学校なぞストーブのことなどまだ夢にもおもつてませんでしょね 今度は成績のことをくわしく知らせて貰らって御父さん初め私も安心しました 御父さんはこの成績では何ふしても二三番には居るだろうと仰言ってます 私も随分努力したなあとおもひました 私共は何ふでも一番になれとそんな小さいことは決して云ひませんよ 学問で料神を清くねり上げ又智慧あるかしこい人と成ってくれたらと望みます 将来世の中に立って生活する時に智慧ある女が一番賢しこく世の為め人の為めに利する事が多いそうですからね この成績表で見ると各先生方が澪ちやんが一生懸命に眞面目でやった事をみとめて居て下さるのがよくわかりますね これから先きもこの分で身体を大事にして進むことですね 先日江戸町のヒスさんに支那酒をたのんでやったのが一寸尋ねて来たのよ その序に奈良崎の結婚のことを知らせて来たがお嫁さんは諏訪町の材木商の中嶋さんの娘さんとのこと あの中嶌さんでないの 幸か不幸か将来の事は分らぬけれど今の處あまり幸せでもないだろうね
この間送った柿は届いたでしょね 御父さんは何ふかなったのじゃないかなあとか江戸町に持って行ったんじやあるまいかとかかれこれおっしゃってるからハガキでなり一寸云ってやったらいゝのね 兄さんも昨年は大そうよろこんでいきなり二ツ三ツつゞけさまに食べましたと直ぐに云って来たのに今年は何の沙汰もしないからね 兄さんも今秋は柿がたかくて果物好きの僕は実に困るとわざわざ云ってやったからさぞよろこぶことだろうとおもつて送ったのに何とも云ってやらないから届いたのか知らんと案じてます 武兄さんも一箱送ったのにこれも今に返事なしよ それにね金三十円貸して下さい年末に拂ふからと云って来たのでお母さんは大いそぎで送ったのに何とも返事しないから心配してるのよ 京都のおばさんからと尾見の□□くんからはひどくよろこんで来たから間違ひなく皆にも届いてるとはおもふけど
冬の休はお正月ではあるし江戸町に行ったってきっとヒスがいゝつらはせんからやはり南生ちやんとクリスマスがすまなくては帰られんならすんだら直ぐに帰って居らっしゃい 今日は唯々返事方々 母より
澪子様
十一月廿一日
「南生ちゃん」は叔母の南生子のこと。「料神」は「精神」の誤記かな。今でも通用するような教育論を書いたかと思うと、柿の送り先から返事がないのを気にするという落差か幅の広さかが笑えます。長崎の親戚への批評も辛辣ですけど、同封されていた母のメモが同じ時期のものだとすると、母はむしろ正月をその親戚の家で過ごしたがっていて、弟の叔父も誘っている模様なのが何ともね(笑)。田舎の親を何よりも優先する「赤毛のアン」はじめモンゴメリー文学の世界のようには、なかなか行かないものなのかもしれません。