母と名月
※キャラママさん
仲秋の名月の夜は良く晴れて、昼の様に明るく、夜に母の所に行った時、カーテンを開けて一緒に眺めました。
でも母は前日から肋骨の辺りが痛く成って居たらしく、診察もして貰ったのですが、余り原因が分らず薬で抑えて居る状態の様です。「ぎっくり腰の様な物と思う」との事でしたが、兎に角痛みだけは取って貰う様に頼んで来ました。
悪い病気じゃないと良いのですが、余り詳しい検査等すると、其れで体調も崩し兼ねないし難しい所では有ります。
気に成ったので昨日の夕方仕事の合間に行って見たら、疲れた顔をして居るのに私が「痛くて眠れなかったんでしょう、大変だったね」といたわると、「え、そう?別にそんな事も無かったよ」と昨夜の事はもう忘れて居る様でした。皆に親切にして貰って今が楽しいからでしょうが、記憶が消え易いのも良い時も有りますね。(笑)
アイスクリームを一緒に食べて帰って来ました。
其の前に敬老の日に花とケーキとプレゼントのセーターを持って行った時は、地域の敬老会で出た紅白饅頭を組長さんが届けて下さったのも持って行って見せたら、夜で歯を磨いた後なのに「食べる」と言って饅頭を食べたりして随分元気だったのですけれどね。まあ今も食事はしっかりして居るらしいから、其れは少し安心です。
※こうやって色々と時間や手を取られる事も有難いし楽しい面も確かに有るのですけれど、最近の裁判で嫡出子(此れも何だか厭な言葉です)でなくても遺産相続は認められると言う判決が出たのは全く正しいし、遅すぎる位で有ったと思うのですが、ただ、現実の問題として、其れを認めるのなら、親の介護や持ち家や墓地の管理をする家族の負担をもう少し評価するか軽減しないと大変な事に成るだろうとも痛感します。
敗訴した側の方が言って居た「ずっと親の世話や墓の世話をして来たのに、割り切れない」と言う発言は、もうどうしようもない程に身につまされました。
勿論此れは嫡出子かどうかと言う基準とは別なので、其処で線を引くのは間違いなのですが、嫡出子で有るか否かに関わらず、全く知らない肉親が突然現われて遺産相続を要求したら、自分の人生も財産も費やして家や親の面倒を見て来た者は救われません。
其れまで家や親に関われなかった、苦労もできず犠牲も払えなかったという事自体が、非嫡出子の方から言えば辛い事だったのでしょうが、でもやはり苦労は苦労で、犠牲は犠牲なのですよねえ。(笑)
此の御互いにとっての割り切れなさや遣り切れなさを和らげる為には、親の介護や家の管理、墓地の管理と言った物をもっと社会や国家が負担する様にするしか道は無いでしょう。勿論皆が其の分の税金を払ってと言う事ですが。
子育ては勿論、従来絶対に個人的な責任とされて来た「家」の維持も、其の様な形で保障して行かないと、自民党の方々が強調される伝統的な「家族」の有り方等守れる物では有りません。