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祝くまゲット。

◇キャラママさん。
テディベアを捕獲されたようで、おめでとうございます。
どーでもいいけど、どこにおくのですか。カツジ猫くんがやきもちをやいて、また頭が白くならないといいけど(笑)。

◇ゆきうさぎさん。
婚外子(というらしいですよ、非嫡出子ということばは最近では使わないみたいです。でも、どっちにしても、変なことばで、そもそも、こんなことばができること自体が、しょーもない世の中って気もするけど)の相続の問題ですが、「親や家の世話をしたのに」と嘆く人の気持ちを考えてると、唐突なのはわかってるけど、私、少子化問題のときにいつも感じることを思い出すんですよね。

キャラママさんともよく話すんだけど、皆が子どもを作らなくなった、結婚しなくなった、ってのは、むろん賃金が低いとか生活が安定しないとか、切実な理由がいろいろあるんだけど、でも、もっと厳しい状況でも、昔の人は生んでたし育てたし離婚もしなかったような気がするんですよね。
歯をくいしばって、夫の暴力やら浮気やらに耐えて、テレビ番組で泣いてその人生ふりかえって、ふとんとかもらってた奥さん(あれ、夫だって、ああいう結婚生活は幸福だったとは思えない)にしても、夫にしても、何でそうまでして結婚して子ども生んで耐えたかっていうと、「そうしなきゃ、ほんとにほんとに、ひどい目にあう」からだったってことが、絶対あったと思う。

◇私やキャラママさんは、わりとそういう被害は受けない職場や環境にいましたけど、それでも、結婚してない、子どもがいないというだけで、おおっぴらに「人間として不完全」みたいなこと、いくらでも人前で言われたし、テレビでも週刊誌でも、もっとちゃんとした本でも平気でそういうこと書いてたし、文学研究もできないし(「結婚も子育てもしてない人間に、文学や人間が理解出来るか」って、教授たちはマジメに言ってましたもん。私はそのたび、「わー、先生、いくら私でも文学を理解するために結婚して子ども生むとか、そんな相手のオトコやコドモに対して、ひどいことできません、それってどんな『藤十郎の恋』やねん」と笑い飛ばしていましたっけが)、お固い職場(銀行とか)では出世もできないし、もう、めちゃくちゃでしたもんねー。
離婚した人にも、それはそれで、またものすごいバッシングがあったと思う。

それだけ、「しない人」を人間扱いしないことで、やっと「する人」を確保していた状況が、「しない人」が普通に楽しく暮らせるようになったら、誰も「したくないことをしなくなった」のが、今の状況なんじゃないの。

婚外子を差別して痛めつけつづけることで、親の介護や家の管理や、したくもない大変なことを、嫡出子とやらに押しつけて、結局は「ああなりたくないから」と、その苦労とひきかえに、その苦労をしない人をさげすみ傷つけることで気持ちを支えて、そういうことをさせてたのが、ほんともう、なんかそっくり。
あ、生活保護なんかもそうだよね。そんなのを受けないで暮らす暮しが楽しくも豊かでもないから、そういうのを受けてる人をさげすむことでがんばる気力を持ってたのが、もうそれさえも限界に来てしまってる、みたいな。

◇親の介護も家の管理も、結婚も出産も子育ても、本来とても楽しい幸福なものだし、「この幸福を味わえない人は不幸」なんぞと、ちょーバカで貧相な世迷い言を唱えなくても、十分満ち足りていられるはずです。それが、そうじゃないから、「しなくていいなら誰がするか」と皆がやめてしまう。このままだと、婚外子の権利が認められるのとあいまって、家や家族も崩れて消えて行くでしょう。それは自民党の方々が心配するのがあたってると思うよ私は。

でも、それはね、そういう本来楽しいものを、争ってでもしたかったものを、「しない人をさげすむ」「することで得をする」って、アメとムチで支えてきたシステムの、当然の帰結だよね。
しても、しなくても、どっちでも幸福でいられる、って状況の中で、人々がちゃんとする気になることしか、本来あってはならないんだよ。

◇あ、それより私は「介護度2」の人は施設に入れないとかいう、例の基準についても書きたかったんだけど、今夜はもうここまでに。

◇そうそう、カツジくん。
あのね、さすがにきみのは、「ぎゃっきょう」というのとは、ちょっとちがうとおもう(笑)。
でも、がんばってね。

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カツジ猫