決断決断また決断。
◇上の家をがんばって片づけている。田舎の家の片づけの最終段階で、もう何も考えないで一気につめこんできた荷物なので、ダンボール箱を次々開けるたびに、まったく予想もしなかったものが現れて、捨てるか人にあげるか、とりあえず取っておくか、まったくちがった種類のものをまったくちがった水準で瞬時に決断をせまられるのが、休むひまなく連続するのが、最近では逆に快感だ。この調子で研究も進めばいいのだがなあ。というか、やればできるはずなのだがなあ。
朝一番で風呂に入って髪も洗ったのだが、そのあと例によって、笹の根を切りこまざいていたら、たちまち全身汗みずくになり、濡れぬ先こそ露をもいとえとか言うからなと、暑い家の中で本を運んだりして、さらにぐしょぐしょになった。仏間にエアコンを入れておいて、そこに荷物を運びこんでは整理するとだいぶはかどる。オオカミかトラが、獲物を巣穴にひきずりこんで、おさえつけて、ばりばり食ってるような気分になる。
◇メアリ・マッカーシーの「アメリカの鳥」は、もうすぐ読み終わる。これ、ひょっとしたら、旅行記としても読めるなと気づいて、売り飛ばすのは少し延ばすことにした。
◇野上忠興という人の「安倍晋三 沈黙の仮面」という本もついでに読んでいる。よく調べてあって面白いのだが、何しろ題材の安倍晋三にあまりにも魅力がないので、何でこんなしょうもない人物の正体や生涯を私が知らなくてはならないのかと、つくづくもう、うんざりする。このくらいなら、お隣や三軒先や五軒先の、つまりどこでもいいご近所の奥さんかご主人の伝記でも読んだ方が、はるかに学ぶところや啓発されるところがあるにちがいないと思う。偉大さも異常さも複雑さも何一つない。とことん俗物で卑小で、面白くない。まあだからかえって、そこがいいと思う人もいるのかもしれないな。儒教でいうところの「郷愿」って、ほんとにきっと、こういうんだろう。
◇DVDで「セックス・アンド・ザ・シティ」をだらだら見直しているのだが、映画の方の「2」を見て、ビッグとキャリーの夫婦生活がぎくしゃくするあたりの描写、ビッグの悪気はないように見えるようで、もしかしたらすごく意地悪なところが、私自身にそっくりで、苦笑してしまった。昔「新ハイト・レポート」を読んだときも、女性が苦しむ男性の対応や冷たさが、すべて私のとる態度と同じで、奇妙な気持ちになったものだが、どうして私はこういう時の反応や対応がある種の男性と同じになるのだろう。
「セックス・アンド・ザ・シティ」と言えば、ミランダを演じたシンシア・ニクソンが詩人のエミリー・ディッキンソンの伝記映画で主役を好演してるらしくて、めちゃくちゃ見たいのだが、九州にも映画が来てくれるんだろうか。