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沖ノ島の勉強会。

◇今夜は、沖ノ島の世界遺産についての勉強会でした。初めての試みでしたが10人以上が集まって、いろいろな角度から充実した討論が行われました。

私は女人禁制について資料を出すよう言われていたので、もう今回は自分の本音を思いきり書いてみようかと思って、次のような文章を出しました。皆があきれて引くかと思ったけど、そうでもなかったので、ほっとしました。
結局は、これが私の、この問題に対する原点だと思います。問題提起の意味もふくめて、皆さんどうぞ、拡散紹介して下さい。

◇ちなみに噂では宗像市は今、教育関係の予算が削られて、保健室で子どもたちの手当てをする目薬まで不自由しているらしいです。一方で世界遺産関係の予算はすでに7億になり、推薦状を一回提出するだけで、制作や翻訳の費用が2000万から5000万かかるとか。いくら何でも金の使い方のバランスが悪すぎませんか。

○私にとって女人禁制とは       


 「女人禁制」の残酷さについて実感してほしいと思う。
 私は女である。そのことはどうしようもない。努力しても変えられない。肌の色や目の色や生まれた場所と同様に、私が選択したことではない。
 そのことを理由に、ある場所に行ってはならない、あることをしてはいけないと言われることは、私にはどうしようもない、私には責任のとりようもないことが原因で、私の価値が決められることだ。おまえは他の人に許されることをしてはならない人間だと一方的に無条件に決められることだ。
 それは私の身体と心を、私と言う人間を真正面から堂々と、否定し侮辱することだ。


 就職でも仕事でも、伝統とか慣習とか、さまざまな理由で禁じられていたことを歯をくいしばって努力して変えてきた。そのたびに消耗もしたし傷ついたし苦しんだ。この年になって、住んでいる街でまた、朝から晩までおまえは生まれつき無条件に許されない身体を持つ人間であることを印刷物や放送で日夜聞かされることになろうとは。耳にし、目にするたびに、息がつまって苦しくなり、仕事も家事も手につかない。このことを冷静に考えたり話し合ったりする自信がないから、本当はこのことに関わりあいたくない。


 ときどき本当にふしぎになる。私を愛し、大切にし、大事に思ってくれる人は私のまわりにたくさんいる。その人たちは私が「女人禁制」という、このことばで毎日毎秒、攻撃され否定され傷ついていることに、どうして平気でいられるのだろうと。これは、目の前で私が誰かになぐられて、レイプされているのと同じか、もしかしたらそれ以上にひどいことなのに、どうして冷静で無関心でいられるのだろうかと。


 同じ女でも私のようには感じない人はたくさんいるだろう。少しも傷つかない人もいるだろう。それはあたりまえのことだ。だからこそ女性というひとくくりで、女人禁制をはじめとしたさまざまな制度を作るのは意味がない。女でも考え方や感じ方は皆ちがう。私は自分がこれだけ苦しみ傷ついているからと言って、自分が女性を代表するとは思わない。同じように、女人禁制に抵抗がない、平気だという人にも女性を代表してほしくはない。女がどう思い感じるかではない。一人の人間である私として、私は限りなく辱められ、日夜苦しんでいる。


 ただ、このことに平気な女性、野暮なことを言ってことを荒立てたくないと感じている女性に対し、どうか忘れてほしくないことがある。今でも職場や地域や家庭でさまざまな男女差別はあるだろう。苦しんでいる女性もいるだろう。だが、もしかしたら、そんなことは感じたこともないという女性がもしいたら、今そうなっているのは、これまでたくさんの女性が野暮なことを言ってことを荒立て、時には命もかけて必死に泥臭い戦いを馬鹿にされながら続けてきた成果なのだということを。特に何らかの責任ある重要な仕事についている女性には、そのことをどうか少しでも考えていてほしい。
 
○今、何よりも心配なこと

 
 それでも私は宗像市民が望むなら、女人禁制の世界遺産が認められてもしかたがないと考えて来た。その結果自分個人が体調を崩し精神に変調をきたし、自殺とか移住とかすることになっても、それは私個人の問題だとあきらめていた。
 しかし、女人禁制に限らず、信仰や歴史認識や予算や手続きの問題についても、市はこの市民にとって最大級に重要な問題を、決して熱心に説明せず、説得もせず、むしろ情報公開をひかえ、さまざまな問題を煮詰めないことによって、もう後戻りできない状況を作ってから市民に納得させようとしているように見える。

 
 そのために、このことに関する事業の中身は充分にチェックされず、仮に重要な瑕疵があっても気づかれないままになる恐れがある。多くの人の疑問や反論に答えることで練り上げられてよいものになって行く過程がないままに進行した計画は少数の担当者がどんなに誠実に努力しても、ずさんなものにならざるを得ない。また一方で、さまざまな問題が討論されないままだったら、市民の間でもこの件はタブーとなり、十分な意思疎通も納得できる妥協もできないまま、世界遺産の話題は、認定後の具体的な施策が実行される中、むしろ地域の不和につながる恐れさえある。


 たとえば女子大や男子校、世界遺産ですでに認められている女人禁制の修道院などを例にあげて、女人禁制を弁明する人もいる。だがそれは、何かの目的によって作られて運営されている機関であって、ただ、ある場所が存在し、そこへ行くことが許可されないという事態とは事情がちがう。
 吉野の大峰も女人禁制で世界遺産になった。その当時も強い反対運動が起こった。それから現在までの間に全世界で性差別の撤廃が大きな流れになっていることを考えれば、外部の目は当時よりはるかに厳しいものとなるだろう

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カツジ猫