浴衣
※猛暑が続いて居ますが、母の居る老人ホームはエアコンが程良く効いて別世界の趣きです。此の数日は御盆の御休みのせいか、訪問される家族も多かったようで、入口の名簿には普段見掛けない御名前が多く並んで居ました。
昨日のデイサービスでは皆で浴衣を着た様で、廊下に其の写真が張り出されて居ました。皆さん昔の方だからか、浴衣がとても似合うのに驚きました。女性も男性も団扇を持って座った姿が、何時もと違って本当に生き生きと恰好よくサマに成って居て、とても自然に皆さんポーズが決まって居ます。着物を着慣れた世代なのだなあと痛感しました。当直の警備員の人も「皆、美人さんやなあ」と写真を見ながら感心して居られました。
母は全く着物は着ない人だったのですが、ヘルパーさん達が一番可愛い派手な浴衣を着せてくれた様で、頭に花をつけて御人形の様に笑って居る姿は大変愛らしく、何やらうまく行ったコスプレの様で、よく撮れて居ました。廊下に張ってあるのは引き延ばした分ですが、元の写真も頂いたので、今度葉書にしようかと思って居ます。葬式の遺影にしようかと思ったりしましたが、ちょっと遊び過ぎでしょうか。
※原爆忌、終戦記念日と続いて、新聞やテレビでも平和に関する記事が見えます。キャラママさんが「しんぶん赤旗」に戦争で死んだ大相撲の力士の事が書いてあったと教えてくれました。母が昔、空襲の時に両国橋で死んだ力士の事を良く話してくれたのですが、其の人の事も書いて有った様です。「新婚さんだったらしい。奥さんと一緒に死んだみたい」とキャラママさんが言って居ました。双葉山の連勝がストップしたのも、其の前年に戦地の巡業でひどく体調を壊していたのが原因の一つでもあった様です。
今は女性の野球ファンは珍しく有りませんが、母の若い頃は皆無に近かったそうです。其の中で六大学野球を初め野球の熱烈なファンだった母は、戦死した名選手達の事も良く覚えて居ました。母自身は戦時中には軍国少女で、アメリカ兵が落下傘で落ちて来たら竹槍で突き殺す積りで居た様ですが、戦後は野球選手や力士達が死んだというだけでも戦争は大嫌いで絶対にしたらいけないと言い、戦争反対と軍備反対を唱える政党に必ず投票し、選挙運動にも協力して居ました。
テレビを見て居ても「軍隊を強化して国を守る」必要性を説く人が居ますが、軍隊は戦争になれば守りたくても国民の一人一人を守る事など不可能です。その財産も、生命も。せいぜいが国の象徴となる天皇や首相や建物や地域を守るだけでしょう。自分を守って欲しいなら大半の国民は平和を維持する事を何より優先するしかなく、それだけが最大の防衛でしょう。そして強大な軍備や軍隊が平和維持に有効かどうか、私は甚だ疑問に思います。