消えて行く世界。
◇台風が来るって言うから、物干しざおも片づけて、もちろん洗濯はあきらめて何があっても大丈夫なようにして待機してたら、風は強いけど雨はまるで降らず、そこそこ陽射しもあったりして、今は月が出て庭が明るい。明日未明から九州南部は暴風雨とか言ってるけど、北部はいつどうなるんだろう。
まあでも、おかげで夜は涼しい。カツジ猫はなぜか興奮して、あっちこっち飛び回ったり私のそばに来たりしているけれど、何か嵐が近づいてる予感とかするんだろうか。
◇「カンボジア大虐殺」を読んだあとなので、つい「カンボジア わが愛」と「ベトナム黒書」と二冊注文しちゃったんだけど、こんなの私いつ読む気なんだろう。
◇ちなみに、宗像ユリックスでは10月から「赤毛のアンと第一次世界大戦」というサブタイトルで、「文学と歴史」の講座の新シーズンをやる予定だし、レマルクや「チボー家の人々」や「れくいえむ」やハンナ・アーレントやもとり上げるつもりでいるんだけど、そのノート作りもそろそろ急がなくちゃいけないし。
専門外のこういうこと、ほんとはやめた方がいいんだろうけどなあ。でもやりたいんだよなあ、やっぱり。
おまけに、福岡の朝日カルチャーセンターでは、これも10月から「江戸の紀行文を読もう!」というテーマで、毎月一つの紀行文をとり上げて行く予定にしてる。これは自分の専門分野で、まあ本来の仕事なんだけど、ほぼ同じ内容でユリックスでもやれないかと担当の人に聞いたら、ぜひやってほしいとのことで、でもこれ以上忙しくなって私ほんとにどうすんの。何かをどっかで削らないと体力の限界ってもんがあるだろう。
◇今日、老人ホームの母の部屋の洗面台を洗う重層クリーナーが切れてたので、ホームの前の量販店に買いに行った。それは買えたが、ふと見たらその横に、叔母がいつも買ってた歯磨きがあった。
叔母と近くのスーパーに買い物に行ったとき、叔母はなぜか私にいつも、この赤青白の三色の模様が入った歯磨きチューブを買わせて、「二色のじゃないよ」とわざわざ注意していた。
叔母が死んでもう9年になる。結局何でこの銘柄にこだわったのか、聞かなかったし、わからないままだ。それでもつい今も自分で買うときに、私はこれを買ってしまう。
死んでしまった人に聞いておくんだったと後悔することは多いだろうが、こんなどうでもいい小さいことで理由がわからないままのことも、けっこう気になるものだ。
しかも先日、母の歯磨きが切れたとき、買いに行ったら近くのスーパーにこの三色の模様の歯磨きがなかった。いよいよあれもなくなったのかと思って、叔母の思い出がひとつ減ったような気がして、淋しいようなほっとしたような気がしていた。
で、今日それを見かけて、思わず二つも買ってしまった私も我ながらどうなんだろう(笑)。
◇それを言うなら、叔母や叔父とよく食事に行った、博多大丸のレストランがあった。そこそこ高い和食の店だった。二人が死んだあと、一人で一二度行ったが、そうそういつも行けるような店でもなし、ずっとその店にも、その階にも行かないまま数年が過ぎて、ある日久しぶりにその階に上がったら、店がなくなって別のレストランが入ってた。
たったそれだけのことなのに、相当衝撃を受けたのは、店がなくなってたということもあるが、それ以上に、そのことを自分がずっと知らないままで、この上の階には叔母や叔父と何度も行ったあの店が今も昔のままにあると信じこんで、そこに行かなくても、むしろ行かないままにして大切にしておくからこそ、そこには以前の何かが変わらずに保存されていると思いつづけて、何となく幸福だったからかもしれない。