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片づけをはばむもの×2。

◇今日も明日も福岡はじめ各地で、戦争法反対の集会やデモがいくつもあります。どれか一つぐらいは参加したいと思っていたのですが、もう仕事が山積みでどうしようもなく、今は自分の家でいろんな片づけをすることが長い目で見たらアベ政治を終わらせるのに有効だと、勝手に判断して自宅で仕事をすることにしました。イケアの近くの公園での風船飛ばす集会とか行きたかったのにな。でも、お天気でよかったです。

◇ぼちぼち書類や資料を片づけて、処分するものをまとめていると、たとえばけっこう困るのが、新聞や週刊誌や映画雑誌です。
いったい何が目当てで買ったのか、とっさにわからない。
何か小さいコラムとか、大事な記事があったのかもしれない、好きなマイナーな俳優の情報があったのかもしれない、などと、目を皿のようにして読んでもわからない。

そんなことのないように、さっさと切り抜いてスクラップするか、せめて付箋はるか紙はさむか、そのページ折るかしとけよと過去の自分に毒づくのですが、わかってるのよね、私、好きな記事は、その雑誌ごと、まるっととって置きたい趣味なのです、ただ何となく。
さらにもっと、ただ何となくなのですが、「これが読みたくて買ったのね」と、人にわかられるのが超いやで、だから目印をつけたくない。あーあ、もう。そんなわけわからない、こだわりや恥じらいが邪魔して、忙しい中読み直しては思わぬ時間をとられたあげく、結局わからなくて、「とっとくか」と残してしまう。もうイヤ。

◇それと、案外困るのが、岩波書店から送ってくる「図書」って小冊子。
他にも出版社やどこやらから送ってくる、そういう冊子はそこそこあるのですが、たいてい、面白そうなのを読んだら処分できるし、とっておきたいのはすぐ保存に回せる。
「図書」は何だかさすが岩波と言おうか、直接とっさには必要も関心もないのに、ああ読みたいあとで読みたいもう一度読みたいくりかえし読みたいというエッセイや報告がやたらと多い。というか、ほぼ全部そう。
これっていったい何なのだろう。やっぱり何らかの水準がとても高いのだろうとしか思えない。もしかしたら編集部がめちゃくちゃチェック入れて筆者に書き直させた上で掲載してるんじゃないだろうか。そのくらいの完成度。

毎回、ああくやしいと歯噛みしながら、そのまま保存に回してしまい、どこにもここにもうず高く残ってしまう。どうしてくれようと思いつつ捨てられない。かと言って、ものすごく必要な読み物などは一つもないから、結局じっくりのんびり読む時間はとれない。
これが結局、知性とか教養とかいうもののかたちなんだろうと、時々ぼんやり考えたりする。

◇1月から2月にかけて、病院に検査に行ったりすることが何度かあって、そのたびに、恐ろしいほど待たされた。ちゃんと時間前に行って手続きも正しいのに、四五時間は普通に待たされた。
担当の看護師の方々は「ごめんなさいねえ、すみませんねえ」と本当にていねいにわびて下さって、こっちが恐縮するほどだったが、それにしても私のような、特に体調が悪いわけでもない者ならともかく、病気の人ならあれだけで消耗して死ぬんじゃないかと思うほどだった。少なくとも93歳の母が、たとえ具合が悪くなっても連れて来る場所ではないなと痛感した。せめてベッドかソファでもおいてもらわないことには、危険すぎる。

そう言えば80代なかばで亡くなった叔母は、体調が悪くなって入院したあと、小康状態でけっこう元気にしていたのに、白内障の手術を受けたいと自分から言い出して、病院から眼科の別の病院に行って診察を待っている間に気分が悪くなって、決定的に病状が悪化し、意識もあいまいになって、結局二度と回復しないまま亡くなった。

叔母が自分で望んだことだし、つきそって下さった方も献身的に世話して下さっていた人だったので、私にまったく文句のあろうはずはなかったが、その時にちらっと、あんまりくたびれているようだったら、引き返してしまえばよかったのではと、思ったことを覚えている。

だけど、待っていてみてわかったが、あそこまで行って待っていると何だか、「もう疲れた」と引きかえす選択は生まれないものなのだよね。いいかげん疲れて消耗していても、またこれを最初からやり直し、これまで待った分を無駄にするのはたまらないと、弱ってる人ほど思うだろう。

昨日書いた、講演のときの飲み水の件もそうだが、元気な人には多分想像もつかないことが、弱ったり年取ったりすると決定的に苦しくなる。病院の待合室なんて、あの長時間を過ごさせるなら最低でもベッドとソファは用意すべきじゃなかろうか。そう言えば母を診察に連れて行ったとき、実際に待ち時間の寝室を用意してくれた病院もあったっけ。

で、そこまではまだ弱っていない私としては、ふと考えるのだが、ああいう待ち時間に読むのって、岩波の「図書」は絶対に最高だろうなあということだ。薄いし、軽いし、中身は豊かだし。
夏に検査に行く予定を組んでるので、その時は忘れずに持って行こう。
あ、「週刊金曜日」や「ビッグイシュー」もいいかもしれないな。

◇庭では、刈り込み忘れたユキヤナギが満開で、いっぱいにうねって、まるで波しぶきが上がっているようで壮観だ。とてもうれしいのは、緋玉マユミの雄の方が、枯れたかと思っていた枝に、小さな若芽を出し始めたことと、ばてたかと思っていた桜の苗木に、これまた小さいつぼみらしいものがふくらみ始めていることだ。三毛猫シナモンの墓の回りの黄水仙はあいかわらず満開だし、スノードロップも白い花をいっぱいにつけ、花かんざしも元気に咲き乱れている。

ところで、上の家の玄関先で、つくしも何本か出ていた。先日いただいたつくしは、ちゃんとはかまをむしって、ゆでて卵とじにして食べて、おいしかったので、今度は自分の家のを食べてみようかなと思ってながめているところである。

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カツジ猫