1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. 生きがいも幸せも家の中にぎゅうぎゅう

生きがいも幸せも家の中にぎゅうぎゅう

集中講義が半分ほど終わって、一服している。コロナが来年どうなるか、対面授業とオンライン授業の状況がどうなるものか見当がつかないが、もし来年も仕事が続いて、集中講義をするとしたら、またいろいろと、細かい部分でやり方を工夫しておく必要があるななどと考えている。

まあそれはそれとして、いつものことだが、授業はやっていると、いろいろ面白いけど。今回のレポートでは、課題のひとつに最近考えている「江戸の人は意外と今の私たちより理屈が好きで理論派だったのではあるまいか」ということをあげているのだが、最初の時間にそのことを話して、「まことにそうだ、江戸の人は今の人より理屈や理論が好きだ、と思う人いる?」と聞いたら、男女ひとりずつ二人が手を上げた。「よかったら、そう思った理由聞かせてくれる?」と言ったら、ひとりは「今の人は議論をさけて対立をさけようとするから」というような、なるほどという解答だった。もう一人は「落語とか聞いてると、そういう印象(江戸の人は理屈好きという)を受ける」とのことで「ひょっとして落語研究会?」と聞くと、そうだとのこと。たしかにと納得した。あとでレポートに「自分は講談をよく聞くが、同じ印象を受ける」と書いてきた人もいて、それもたしかにそうだろう。

私もいいかげん思いつきで適当なことをするので、この前は江戸の思想史で朱子学や陽明学の説明をしていて、「理」と「気」について話そうとしてふと、「もう理由とか何もなくていいから、この二つの文字を見て、どっちが好きか選んでみて」と無茶ぶりもいいとこの質問をして挙手させたら、三十人近い学生がほぼみごとに半数ずつに分かれた。さすがというか、「理」も「気」もそれだけ、普遍的な魅力を持つことばではあるのだなと、変な感心をした。

いつも行くスーパーに久しぶりに沖縄の那覇ミートとかのハムステーキがあった。もう取引をやめたのかと思うぐらいずっと見なかったので、大喜びで買ってきた。ホテルでの手のこんだごちそうもいいが、このハムを切ってパイナップルときゅうりとりんごでサラダにしてマヨネーズをかけただけの手抜き料理を熱いごはんで食べていたら、もうそれだけで幸せになる。

最近は映画も見に行かないし、人と会うことさえあまりないのに、それでも家の中でする仕事が多く、やりがいも生きがいも幸せもありすぎて、ありがたいけど忙しすぎる。由布院ももう少しコロナ騒ぎが落ち着くまでは行かないことにしようかと思う。せいぜい写真で、お楽しみ下さい。

Twitter Facebook
カツジ猫