生きた心地がしない。
◇田舎の家から持って来たい叔母の古いソファが、何をどうやってもどの部屋にも入らないと、数日前からメジャー片手に悪戦苦闘していた。今朝また最後の望みをかけて、私がサンルームと呼んでる板敷の部屋を測ってみたものの、入ることは入っても見た目がすごいことになりそうで、やっぱり断念するしかないかと思ったとたん、ベッドを置く予定の部屋に入れてみたらと思いつき、測ってみたら何とか行けそう。だがだが、ここの壁には大工さんに45センチはばの書棚を作ってもらうことにしていて、それだとかなりぎりぎりになる。
大工さんを待ち受けて、まだ棚の幅を変更できるか聞いたら、木を削ってる段階なので、大丈夫ですとのこと。さっそく22センチにしてもらって、ことなきを得た。
その後、下の家においている小さいテレビをその棚においたら、ますます立派な居間もどきになるじゃんと気づいたので大工さんにまた頼んで、一部分だけテレビの奥行に合わせて25センチにしてもらうことにした。
問題のクマも、そのソファのそばにおくと、一番サマになりそうで、すべてめでたしめでたしだ。
ううむ、しかし、もう一日か半日遅れていたら棚ができてしまっていたところで、もう本当に間一髪のぎりぎりセーフというか、生きた心地がしない毎日である。
◇この工事の支払いも、保険を解約するか復興国債を解約するかその他もろもろ悩んでいたが、普通口座の残金をかき集めれば何とかなりそうで、もうそれで行くことにした。先のことは考えない。実は書棚ができたら、今、古い書棚においている資料や本をつめこんで、その書棚を人にやった後にまた天井までの書棚を作るという、第二期の工事がひかえているのだが、その金はどこからひねり出したらいいのか、これも本当に生きた心地がしないのである。
◇一番生きた心地がしないのは、気がついたら各講座の10月の新シリーズの開催がもう目の前にせまってることで、まあ一応準備はできているつもりではあるのだが、明日はしっかり資料を作らないと、いくら何でもえらいことになりそうだ。
◇この前、母の96歳の誕生日なので、プレゼントと花とケーキでお祝いしました。
先日、街で友人と待ち合わせしている間に買った、「ハッピーバースデー」の歌が流れてくるカードも持って行きました。ちょっとしゃがれた暖かい女性の声で、聞いていて快かったものですから。
母は寝ていましたが、誕生日だよと教えて、カードの歌を聞かせると変に元気になって、「起きようか」と言い出してベッドの上に座ってケーキを食べました。そして、プレゼントのおしゃれなカーディガンを着て、妙に意気揚々と夕食に出かけて行きました。自分でどんどん車いすを押して進むので、ヘルパーさんが「あれ、お元気ですね」と驚いていました。
カメラを忘れて行ったので、次の日持って行って、母の横に花をおいて、写真をとりました。私がカツジ猫を撮るときの要領でばちばち何枚も撮るので、写真がぜいたくだった時代の母は、あきれて笑い転げていました。
何年か前の誕生日には母が急に熱を出して入院するという、とんでもないハプニングになったこともあり、こうして無事に楽しい誕生日が終わると、オリンピック開催が成功した国のように、どっと安心して力がぬけます。
ほんとは私の誕生日ももうすぐなんだよなあ。昔は母がその日になると毎晩電話をかけてきて「ハッピーバースデートゥーユー」と歌ってくれたのですが、いつからか母は私の誕生日を思い出さなくなりました。
でも、おかげでその日の夜は、家で電話を待ってなくてもいいようになったので、一人でぱあっとどこかに遊びに行ってやろうと思っています。というわけで、その日は多分一日家にはいませんので、どなたもお花など決して送ったりされませんよう(笑)。
◇カツジ猫は今日は一日、大工さんの木をけずる音が気になるのか、寝椅子の上で耳をぴくんぴくんさせていました。外猫のしまおは、もう私に頭も背中も平気でなでさせ、家の中でノラ化している白黒猫のマキよりもずっと私とスキンシップしているという何だかなあの状態になっています。