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田辺聖子さん

田辺聖子さんが、亡くなられたのだよなあ。
「好色五人女の女主従」(あれ、この論文、リンクしてなかったっけ。近日中にアップするので、乞うご期待)の冒頭に「むかし、あけぼの」を引用させてもらったっけが、愛読者の一人として、淋しい。

このところの大阪の状況をどう見ておられたのだろう。戦時中は軍国少女だったこともふり返りながら、平和への愛を強く語っておられたが。

今の政権や、それに連なるものの数々を、お好きであったわけはないが、たとえば野党を表立って支持し応援することは、私の知る限りではそんなになかった。
でも、書かれることや生き方が、ひとつひとつの文章が、今の政権や大阪の政治とは対極にあったし、それが明確な応援でもあった。

特に私が覚えているのは、もうずっと昔、どこかで書かれた一文で、「自分は、政治的社会的なメッセージとか訴えとかすると、こんな私が応援したことで、逆効果になって票が減るんじゃないかと心配で、できない」というような意味のことを書いておられたことである。

そういう思いで沈黙している人は有名人でもそうでない人も案外多いのかもしれない。私も昔はそうだった。今も開き直っているだけで、自分のような者がいろんな発言やアピールをすることは、支持する勢力や政党や日本国憲法にとってマイナスになりはしないかという心配は、いつもひそかに、どこかにある。だもんだから、自分の居場所がほしくて、仲間を求めて、生きがいがほしくて、ヘイトスピーチ(いや、民主的な集まりだって)に参加するという人の心境が、なんかもう絶望的に理解できない。

田辺さんは、スヌーピーとかかわいい小物とかへの愛を披瀝するのは、勇敢で何の遠慮もされてなかったが、そこにもきっとそれなりの考慮と覚悟はあったと思う。私の方はそっちは逆に臆病で、猫でもタレントでも、好きなものを好きとまっとうに口にできない。恥ずかしいとか言うよりも、私が好きと言ったらマイナスになりはしないか迷惑じゃないかとつい思う。そう言えば田辺さんは「姥ざかり」シリーズの中で老婦人歌子さんの、テレビの前でメガホンやグッズを持って応援する熱狂的な阪神ファンぶりを描いておられたが、ご自身もそうだったのだろうな。ほほえましくも、うらやましい。

そういう気持ちからの政治的な発言のなさを、私は他の知識人の「政治に参加しない」いろんな理由を聞く場合とちがって、田辺さんの場合、決して逃げ口上と感じなかった。それほどに自分に自信がないことを変だともおかしいとも思わなかった。その気持ちがすごくよくわかった。くり返すが、有名無名を問わず、「私なんかが発言したら、かえって足をひっぱったりマイナスイメージになったりするんじゃ」という思いから、黙ってしまう人は多いと思う。それがいいとか悪いとか、どうしてほしいとかどうしたらいいかとかではなく、ただそう思う。

写真は、母のいた老人ホームの、夜間の宿直をしていたおじさん(たって、きっと私より若い人だけど)が、写真が好きでよくくれていた中の一枚。母の位牌の前にずっと供えていたけど、どこかにしまっていたのが、昨日また見つかった。あまりきれいなので、使わせてもらおうっと。

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カツジ猫