男に借りは作りたくない
雪が降ったり日が照ったり、庭も身体も対策のしように困る毎日だ。一応、玄関に避難させていたカーネーションと菜の花は庭に戻した。
写真は玄関に入れていた菜の花。今は庭で元気です。それにしても、水仙が好きだった母がいつも、「雪の中でも、しゃんときれいに咲くからねえ。あれがいいのよ」とほめていたのを思い出すほど、庭のあちこちの水仙の草むらでは次から次へと花が開き、本当に切り花に不自由しません。夏あたりには、すっかり姿をかくしてしまうのも何やら見事です。
昨日の午後は久しぶりに同級生の友人と、電話でながなが、くっちゃべった。彼女は足の調子が悪いのとコロナを超警戒するのとで、もっぱら家に引きこもっているのだが、プーチンや自公政権やそれを許している国民には私同様怒っていて、「いっそもう徴兵制になればいい。そうしたらいくら何でも皆気づくだろう」と口走るようになっている。リベラルな人々のこういうヤケは、ある意味一番危険かもしれない。
でもって私は「冗談言うな。徴兵制なんかで男を戦争で戦わせたらまたつけ上がって、女を憎んでバカにして、慰安婦になれお茶をつげと言い出すに決まってる。そして、それも無理はない。女を守るなんて名目で、人を殺したり自分が殺されたりするのなんか、どんなに愛する大切な人のためでも私が男なら絶対にいやだ。あれこそが最大の男女差別じゃないか。いざというときには死ぬために生まれて生かされている存在なんて、ニワトリやブタよりひどい人生だぞ。私ならそんなことを考えただけで、毎日生きた心地がしない。それに目をつぶって抗議もしない女たちなんか、決して許せない。戦争ってのは、男に借りを作ることで、私はそんなのごめんだ」と言った。
「私らの世代はもうトシで、戦争体験者も少なくなってるけど、考えて見ろ。昔の日本や今の世界のあちこちじゃ、どこの村にも、人殺しをしてきた男が、そのへんにうじゃうじゃいたんだぞ。家族といっしょに飯食って畑耕したり魚売ったり赤ちゃんと遊んだり普通にしてたんだぞ。大半の人は、その記憶や体験を家族にも周囲にも話せず封印して生きてたんだぞ。精神病院に入った人も多かったけど、考えてみればそれが普通みたいな体験を皆がしてたんだぞ。妻も女たちも、それを知らないままいっしょに生きてきたんだぞ。まともじゃねーよ、そんな生活。女を自分と同じ人間として見ろとか扱えとか、無理に決まってるじゃないか。ガラスの天井ならぬガラスの壁が男と女の間にはずっとあって、それを女は気づかないふりしてる。信用できるわけがなかろ男の方は。今だって、いざとなったら自分がそういう運命になるし、女はそれをやめさせる気はないって、男は皆わかってるんだよ。絶対どっかで恨んで憎んでるよ、女のことを」とまくしたててしまった。
昔NHKテレビで母といっしょに見た「モンテンルパのなんちゃら」(多分これ、「モンテンルパの追憶」。ディレクターの吉田直哉さんは、緒形拳が秀吉、高橋幸治が信長をやった大河ドラマ「太閤記」も制作したんじゃなかったっけ)というドキュメントの「愚かしい戦争の痛ましいエピローグです」というナレーションや、井伏鱒二の小説やらに普通に登場していた戦争の後遺症の狂気の人々の姿が、頭の中をちらちらしていた。身近な民主的な会合でも、テレビやラジオの番組でも、なまじ良心的な男たちが、被害者への聞き取りみたいに女性の苦しさを聞こう知ろうとし、女の方はまた、どんと座って笑顔で余裕でそれに甘えているのが、私は本当にやりきれない。戦時には死ぬこと殺すことを前提に生かされている毎日ってどんなんですかと、男に聞きたくて、でもひどすぎると遠慮してしまう。
もうそんな状況を少しでも増やしてなるものか。「誰の子どもも殺させない」というスローガンは、その点ほんとにすばらしいと思う。男たちを守らねば。戦わされる運命から。人を殺させる運命から。
でもさ、そのおしゃべりの中で、昔の映画「八月の鯨」のことが出て(リンクはずっと下の方まで下がって見て下さいね)、老女優二人が演じる老姉妹の話なんだけど、当時話題になり印象的だったその女優さんたち、妹役のリリアン・ギッシュが九十歳だったのはまあすごいとして、姉役のベティ・デイヴィス、今見たら七十九歳で私とそんなにちがわない年齢じゃない。ぎゃあおー。あんなにおばあさんになるまでに、私は生きてしまったのか。そらもう、疲れるはずよねえ。