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祖母の日記

※キャラママさん

明日(今日?)の憲法学習会の成功を祈って居ます。内容の詳しい御報告も期待して居ますので。

※田舎の実家に帰った時、離れの本棚に祖母の日記が並んで居て、つい手に取りました。もう四十年程前に九十二歳で亡くなった祖母は毎日日記をつけて居ましたので、何十冊も残って居ます。何とはなしに遠慮して此れまで中を見た事は無かったのですが、九十六歳の母に読んでやったら面白がるかと、適当な一冊を持って来ました。一九六〇年の日記です。

「一昨日から又ポンプがわるくなり困ってたら夕方松本さんが来てくれて直ぐよくなったのでうれしかった。

首班問題で石井大野派が共同するらしく池田派も油断ならずと云ふところ。話合で一本にしぼるつもりらしかったがそうもゆかぬらしい。

昼間はとても暑かったのでエプロンも洗ひ明日からカンタン服を着やう。」(六月二十六日)

祖母は小柄でほっそりした、いかにも上品なお婆さんでした。村医者だった祖父を助けて病院と家を管理して居ましたが、無口で控え目で我慢強い昔の女性でした。でも国や村の政治に関してもこうしてしばしば書いて居るのに驚きます。
ポンプと言うのは当時は井戸で手押しで水を汲んで居たのですね。

今日、五月三日の記事です。
「農協理事選挙に好さんを立てたので何ふだらうかと案じてたら41票で当選したのでうれしかった。
夜は晃さん方で御祝したので祖父さんもよばれて行った。

おるいさん赤ちゃんの御祝のお返しに呉橋を持参したそうだが私は出てゝ会へなかった。

浦野の奥さん娘さんに英語教へて(と)菓子箱持ってたのみに見へた。」

祖父さんと言うのは私の祖父で、祖母の夫の事です。
呉橋は当地の銘菓、英語は私の母が近所の子供達に教えて居たのです。
祖母は此の頃たしか七十歳代でしょう。

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カツジ猫