1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. 私の場合は

私の場合は

※じゅうばこさん、キャラママさん

もしかしたら似たような悩みを御持ちの方もおいでかと思ってお話するのですが、私は都会に簡単な仕事場を持って居ますが、田舎にも祖父母や母の居た古い家が有って、その横に母の隠居所として数年前に建てた新しい家が有ります。
知りあいや親戚がよく泊りに来ますし、私も古い家の片付けを兼ねて最低でも週に一度は帰ります。
結果としてほぼ毎日人が居るので安心では有るのですが、こちらも誰が何時泊るかの予定の遣り繰りやそれに伴う家の片付けにはそれなりに時間も割きます。
ただ、ここ数年はそれなりに泊る方々とも信頼関係が出来て居ますし、管理はそれほど負担では有りません。

そうは言っても古い家と土地を維持して行く苦労は並大抵では有りません。私が何とかやって行けるのは、観光地などと違ったただの田舎だから税金などもまだ何とか払える額だからです。知人や友人で広い土地や古い家を持って居た人の多くは既に手放し売却したり土地を分割して貸したり家を壊して更地にしたりして居ます。
私も決して財政的に豊かではなく、税金や補修や植木の手入れ等で何時も出費が多く頭を悩まして居ます。恐らく私の収入でこの古い大きな家を維持して行く事自体が相当に無理な事なのです。

キャラママさん同様、それは私も色々と悩んだり親戚とも相談したりした上での結論で、様々な事情は何時も流動して居ます。弁護士や税理士等とも常に相談して居ます。
くどくどとこんな事を書くのは、キャラママさん同様私の周囲にも、そのような私の日常を知ってか知らずか、まるで私の生活や家を共有しているかのような発想をされる方が何人か居られるのにほとほと当惑させられたからです。

祖父母も母も昔、村の若い人達や私の友人を家族の様にこの家に招いて好きなだけ滞在させて居ました。「ここが自分の家のようだ」と言われる方は今も沢山いらっしゃいます。
けれど時は流れましたし、家も古く成り、今は私が一人で管理して居て、その維持費を確保するだけでも随分苦しい状況です。
今泊って下さる方々はその様な事情は良くご存知だし、私に負担をかけないよう配慮して下さるし、必要ない内情には決して踏み込んでは来られません。
キャラママさんも書かれたように、きちんとした関係を築いて居る方は逆に距離を取るし遠慮されます。
此処暫く私が本当に疲れたのは、今の私や家の現状も知られない儘、「自分にとって懐かしい家だから」とどんどん踏み込んで来られる方の存在でした。
それは私と協力して今この家を支えてくれて居る方々に対しても失礼な事になりかねませんし、何とか折り合いをつけたいから、考える時間を頂きたいと思って、「少し気持を整理する時間を下さい」「何時この家を処分するかも知れませんから」等々、少しでも距離をおいて頂けるような御願いをしても見ましたけれど、逆に自分にとってこの家がどんなに思い出の中で大事か、それだから家をどうかする時は必ず自分に教えて欲しい等の訴えを頂くばかりでした。

この辺りからキャラママさん同様、私もとても消耗し始めて、一体誰の為に私はこの家を管理し維持しているのか分らなくなりそうで、本当に火をつけて燃やして仕舞おうかとまで何度か考えた位です。
責任を持って一緒に管理して下さるとでも言うなら兎も角、もう全く昔とは事情も違って居る古い家に、何の責任も無い立場のまま遮二無二関わろうとする方の心境が私にはとても重荷で苦痛以外の何物でも有りませんでした。
私にも家族同様に御付き合いしている方々も、それなりの人間関係も有りますし、家の事について相談する親戚も居ます。
そういう存在が全くないかのような、勘ぐれば「あるなら言って見ろ」と言わんばかりに、私の事を全て知って居るかの様な近づき方もただ当惑するばかりでした。

結局祖父母の代からの長い御付き合いの方々を今回、もうこれ以上は御付き合いしない事にして、その旨を御知らせしました。大変辛いし心苦しい事でしたが、止むを得ないと思って居ます。
キャラママさんのお話は新しい家ですが、私の方は築80年にもなるような古い家です。それが一見昔と同じ様に建って居ると、そうやって変わらず存在して居る為には、現時点で管理して居る者とそれを支えてくれる沢山の人たちの血の滲むような努力があるという事に全く気付かず、自分の夢や思い出を拠り所に立ち入って来ようとする人が居る。どうしてそんな発想が出来るのか私には謎でしか有りません。

この家は今も生きて居るし、私の愛する、私を支えてくれる人達と私の夢を紡いで居ます。その人達の為にも、その事に気付かず想像も出来ない人を私は遠ざけなければなりません。この決意をするまでに本当に苦しみましたけれど、もう迷う事はないでしょう。

Twitter Facebook
カツジ猫