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まったくですね

◎じゅうばこさん

今年初めに、これまでの家の前の空き地に離れ家風の小さい家を建てたのですが、どういうんですか、新しい家が建つのがこれだけ周囲の人たちにとって、「イベント」になるとはまったく予想外でした。

私だって近くに家が達ちはじめたら、どんなお宅か店か住宅かどんな方が住まれるのか、関心がないわけではありませんが、しょせん他人の家なのだし、そこで暮らす方々の生活も基本的には私には詳しいことがわかるわけではない・・・という感覚ですよね。

この空き地はもともと、ご近所の数軒のご家族が持ち主から借りて畑を作っておられた場所で、持ち主の方が今回手放されることになって、どうしようかという話の中で、私にも買いませんかという声をかけていただいたのです。
そういうこともあってか、その数軒の方々は事情をわかっておられたこともあって、「知っている方が買ってくれてよかった」「かわいいお家が建ちましたね」と言ってくださって、ときどきお子さんが私の家の庭先で遊んでいたり、犬の散歩のときに私の庭を通って行かれたりして、それは私はとても楽しいし、ありがたいとも思っているのです。

むしろ、お知り合いではあっても、あまりおつきあいのない方の方が、「家を見せて下さい」「いつお家開きをなさるのですか」と大変関心を持たれて、でも私としてはどなたかに見せたら、地域の方皆に公開しなくてはならなくなるだろうということもあって、最初から中をお見せするつもりはありませんでした。小さい家だから、中に入ったとたんに全部が見えてしまうということもありましたからね。

まあ、それ以上言って来られる方もなかったし、私もそう気にしてはいなかったのですが、これは元の家にいる時からそうでしたが、「今日はおうちにいらっしゃいましたね」「昨日は遅くまでお客さんでしたね」「ゆうべは遅くまで灯がついていましたね」などと、何度も言われていると、こちらも次第に神経質になってきて、しかも「ご家族を呼ばれるのですか」「どなたか下宿させるのですか」「学習塾でも開かれるの」「しゃれた感じだから、コーヒーショップかしらと友だちが言っていたけど、本当にそうなさったら? 私がお手伝いしてもいいわ」などと毎日言われている内に、だんだん笑えなくなって来てしまった。

本当にふしぎなのは、私の老後の計画も、仕事の内容も、家族構成も経済状態も何も知っておられるはずがない方々が、どうして近所に建った他人の家で、そんなに自分の参加する未来を夢見て空想をはばたかせられるのか、ということでした。
私が少ない退職金をはたいて、今さら新しく家を建てたのは、それなりの事情や計画があったからです。たとえば、このままその空き地を他人が買ったら、私の元の家は建築法上、道路から離れ過ぎて、新しい家を建てることができず、今の家をこわしたらその後は永遠に空き地にするしかなく、土地としての資産価値もなくなってしまう、というのもその事情のひとつでした。

そういうことのさまざまを、不動産屋や建築士や、いろんな人と相談し、自分の今後の生活や人間関係の中で、何を捨て何を守り何を優先するのかを、眠れないほど考えぬいて選択し決定した結果で、そういうことの片鱗にもたずさわったことのない、まったくのよその人が、まるで私の人生のパートナーのような感覚で私の生活に関わってくるのが、不愉快とかいうより不可解で、もう、本当に信じられなかった。

これまでの私の経験から考えて、近しい人や事情を知っている人ほど、きちんと距離を保って、踏みこんでは来ません。そうしなくてもわかりあっているという安心感もあるのでしょうか。相手との距離を持てるということは、むしろ相手との絆の深さを示しているのかもしれません。

ただ、おっしゃるように、家というのは家族や生活や貯金通帳とちがって(笑)、いやになるほど目に見えるだけに、人の空想や錯覚を刺激するのですね。それはつくづく感じます。
そして、その家を作り維持するのに、どれだけのエネルギーが費やされているかを自分で実感したことのない人には、それはただの美しい快い夢のおもちゃ箱にも見えてしまうのでしょう。

◎「チェルノブイリ・ハート」という短いDVDを見ました。福島もですが、汚染された地域に植物だけは元気で繁っているのが、やりきれない思いです。
そして事故後に急増した、子どもの病気や、身体的障害を持って生れた幼児たちの映像にもたまらない思いがしました。
自民党の総裁選の候補たちの演説でも原発に関する発言は、まったくといっていいほどないようで、この国のゆがみをあらためて思い知ります。

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カツジ猫