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突破口は開けるか

なかなか仕事が進まないのに、われながらうんざりして、とにかく何から先にするかをじっくり考えた結果、これはとにかく、家中の古紙を根こそぎ処分することから始めるしかないとの結論を得た。さっぱり見つからないさがしものの数々も、そうしたらいくつかは見つかるだろう。

でもって、今日はとにかく、家中の古紙をまとめてしばりあげることに集中する。これがどこまで進められるか、突破口が開けるか。庭の草も気になりまくるけど、それは余裕があったらだ。

数日前にスーパーで買ったサンマ二匹をグリルで焼いて食べたら、何かめっぽうおいしかったので、もうないかと思って、昨日また売り場にいったらなかった。と思っていたら、多分そのサンマの売れ残りを焼いたのを焼き魚として何パックも売っていた。ためしにひとつ買って来たが、おいしいかな。

お金がないので、一生懸命倹約して何も買わずにいたのだが、その反動がみごとに来て、昨日いつもの本屋によったら、つかれたように、どーでもいい文庫本を八千円も爆買いして、財布がまたもやすっからかん。次の年金が来るまで、どうやって生きのびようか。

昨日さっそくベッドにひっくり返って、そのうちの一冊、井上荒野の『あたしたち、海へ』を読んだ。(どーでもいいけど、この文庫本の表紙、すごくいいのに、下半分が帯にかくれて、少女たちの不安定さがさっぱり見えなくなっているのが、つくづくもったいない。)少女たちの友情が切なく、悪役もふくめて皆にそれぞれ納得するしかない事情もきっちり書かれていて、気持ちよく読めたのだが、それでも、子どもも大人もあまりの弱さと情けなさと意気地なさに「何やもう、あんたら」と心から思い、まあこれなら今裁判中のママ友カリスマみたいなパワフルな人が活躍するのも無理はないわいとも思った。そして、そういう無駄に強い人の言いなりになってしまう周囲の人たちが、昨日書いた、インタビューに応じて他国の女王をほめちぎる人たちともすごく重なった

こういう人間関係は老人ホームに行ったって存在するし、続くだろうというのも予想できることで、そこで孤独に元気に戦う老女の姿には喝采を送り救われもするが、いやーしかし私なら、入居したとたんの自己紹介で「愛読書はフォークナーとデュラス」なんて死んでも言わんぞと、そこはちょっとあきれた。警戒心がなさすぎやろ。ほとんどもう、アホかいな。

それで思い出したのだけど、私は小学校のころから、こういう派閥だの変なリーダーだのの発生をすごく恐れていて、それを防ぐために、まあまちがいもいろいろしたが、全力あげてクラスや周囲の人間関係を掌握、支配し、自分がリーダーとなり中心となることで、それもそれを誰にも気づかれないままで、皆を幸福に平和にしておいて、自分の孤独を守ろうとしていたのだよな。そのための、あらゆるテクニックをみがいて、誰とも対立せず、服従も支配もせず、楽しいクラスを作ろうと全力投球していた。その技術は多分、今でも消えてない。しかし今後体力や気力や知力が落ちて行ったらどうなるか、それはわからないけどな。

今は唯川恵の『みちづれの猫』を読んでいる。悪くない。同じような若い女性作家の中で、彼女は一見一番俗っぽくて平凡で大衆的と私は最初思っていたのだけど、なかなかにそうじゃなくて、鋭さや厳しさや繊細さも十分にある。そういう作家たちの中では、一番「まちがいない」と安心して文庫本を選べる作家だ。特徴がないようなのが、逆に強みだ。

例のオブジェは時には白猫の故ミルクの写真とも対話させたいので、向きを変えてやってみたりしている。

昨夜も月が美しかった。横に見えるのは、「キャラの木」と私が名づけているキナモチの木。わが家のシンボルツリーである。手前に見えてるのは緋玉マユミ。だんだん赤い実が色づいている。

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カツジ猫