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紀行全集のために(12) 「地震津波末代噺乃種」解説

もうあまりにも長いことほったらかして、出版社に迷惑かけまくりの「紀行全集」の解説原稿です。

もうこのまま使うかどうかわかりませんが、とにかく、この種の原稿を片っぱしからアップします。なお、まだ表記の整理もしていないのでお見苦しいですが、すみません。いずれ訂正しますが、とにかく急ぎます。(20023.3.30.)

 

「地震津波末代噺乃種」解説

 

【紀行というジャンル】

他でも何度か書いたことがあるが、紀行というジャンルは、厳密に定義しようとするとその境界が限りなくあいまいになる。句集、歌集などとも区別しにくいし、地誌や名所図会との差も明確ではない。江戸紀行の代表作である、益軒紀行は案内記と、橘南谿の「東西遊記」は奇談集と、体裁内容ともに同一である。

ここで紹介するのは、大阪市立図書館に所蔵される、嘉永七年十一月の大地震の際に刊行配布された瓦版をまとめて一冊の本のかたちにしたもの二点で、見聞記として広い意味での紀行と考える。何よりもそのエネルギッシュな内容が刺激的で、このようにまとまったかたちで多くの方に読んでいただきたかった。

 

【災害と文学】

かつて中村幸彦先生は雑談の折りに、「中世の軍記物が読者に与えた面白さを、江戸時代に引き継いだのは災害物の文学だった」という意味のことを話された。たしかに江戸時代初期の仮名草子では、江戸の大火を題材にした「むさしあぶみ」が、町のあちこちに追いつめられて焼死する人々の姿を生々しく描いている。

 

「辻風おびたゞしく吹まきて、当寺の本堂より始て数ヶ所の寺々同時にどつと焼たち、山のごとく積あげたる道ぐに火もえ付しかば、集りゐたりし諸人あはてふためき、命をたすからんとて、井のもとに飛入、溝の中に逃入ける程に、下なるは水におぼれ、中なるは友におされ、上なるは火にやかれ、こゝにて死するもの四百五十余人なり。」(吉川弘文館 日本随筆大成第三期第六巻)

 

各地で発生した飢饉の惨状も、しばしば記録文学として残された。

紀行そのものにも、「東西遊記」の西遊記続編巻三に収める「飢饉」の記事をはじめとして、飢饉を描くものは多い。重要な社会現象を情報や記録として伝えようとする真摯な意識が主だが、今日のワイドショーや週刊誌の災害報道と同じく、煽情的な関心を期待する心理もまったくないとは言い難い。

 

【作者の懊悩】

なお、「むさしあぶみ」は、「かやうの事はとはぬもつらし、とふもうるさきむさしあぶみ、かけても人にかたらじとは思へども、ひとつはさんげのためとおもへば、あらあら語りてきかせ申べし」と、粗削りな表現ながら、生き残ってこのような悲惨を描くことの苦しみが綴られており、それはたとえば江刺昭子『草饐』(大月書店 一九八一年)に描かれた原爆小説の作家大田洋子の心情などと重なるものでもあるだろう。

 

「原爆を書くことは、同時にあの日の惨状を繰り返し眼の前によびおこすことになり、それがあまりに残虐な地獄絵図であっただけに、吐き気を催させ、めまいを感じなければならなかった。洋子の言を借りれば「血へどを吐く思い」であの日の記憶を反すうしながら書き、不安神経症にまでなって(後略)」

 

【瓦版の表現】

だが、この瓦版には、そのような罪悪感はない。災害後すぐに発行され、被災地でも大いに読まれているのを思うと、各地の被害報告など情報伝達として重宝がられた面もあるだろうが、それ以上に読んで愕然とするのは、何の必要があったのかと思うような、災害の悲惨さを笑いのめした言葉遊びや語呂合わせの数々である。

たまたまこの二冊が大坂の地震を扱ったものだったから、かつて葦書房『江戸を歩く』で紹介したとき、私はこの狂的なまでのユーモア精神を、幕末という時代とともに大坂という土地柄もあるのかという推測を述べた。しかし『江戸の瓦版』(森田健司 洋泉社新書)によれば、安政二年の江戸の大地震を扱った当地の瓦版でも、「鯰絵」と言われる同種のものが多く出ており、必ずしも地域性では解釈できない。

『江戸の瓦版』は、災害物以外にも多種多様な瓦版を取り上げており、限られた紙数の中でも「鯰絵」をはじめとした瓦版の果たした役割や性格について詳しく説明していて示唆に富む。しかし私自身は、このような発行物の制作意図や享受状況については、まだ充分に理解も判断もできていない。

ともかくも読者自身に実際の瓦版を見てもらいたい。地震の被害を料亭などのメニュー、いわゆる「お品書き」にあてはめて、道頓堀の溺死人の山をあえまぜのなます料理に見立てるセンスは、どういうパワーから生まれ、どういうエネルギーを生むのだろう。印刷では、翻刻と原文の影印を別に記載しているが、この部分などは、翻刻を参考に、ぜひ原文の写真もながめてほしい。

 

【題材となった地震について】

この二冊の瓦版集の題材となった地震は、「日本歴史災害事典」(北原糸子・松浦律子・木村玲欧編 吉川弘文館 二〇一二年)に「安政東海・南海地震」(嘉永7年11月4日-5日)として、詳しく記されている。十二月二十三日の午前十時近くに発生した、駿河湾―遠州灘―熊野灘の海底を震源地とする推定マグニチュード八・四の巨大地震で、関東地方から九州南部までが震度五以上の揺れに見舞われ、房総半島から大分県までの海岸が高さ二メートル以上の津波に襲われた。ペリーの黒船来航(嘉永六年)以後の混迷の中で起こった災害であり、訪れていた異国船や乗員も被害を受け、その救済も行われた。

 東海道の宿場は軒並み全潰し、特に大坂の被害は大きく三万軒の居宅が倒壊、焼失し、二三千人が死亡したと推測されている。また津波により、港に停泊中の大船が堀川に押し上げられ、避難していた町人の小舟を破壊する被害も出た。同事典には、その様子を示す、「地震津波末代噺乃種」の絵が掲載されている。

 

【書誌】

底本に用いたのは、以下の二点である。

  • 地震津波末代噺の種 大阪府立図書館郷土六四四-六。板本(折本)一冊。十六・四✕十・七cm。茶色格子縞表紙、中央赤題簽。全十九折。部分的彩色。

外題「地震津波末代噺の種 全」、内題なし。刊記なし。

 

  • 地震津波末代噺の種 大阪府立図書館郷土六四四―八。板本(折本)一冊。

十六・九✕十・九cm。茶色格子縞表紙、中央赤題簽。全十八折。冒頭彩色。

外題「□□(破損して判読不可)末代噺の種」、内題なし、刊記なし。

 

(以下は短縮版です。)

 

「地震津波末代噺乃種」解説

 

大阪市立図書館に所蔵される、嘉永七年十一月の大地震の際に刊行配布された瓦版をまとめて一冊の本のかたちにしたもの二点で、見聞記として広い意味での紀行と考える。何よりもそのエネルギッシュな内容が刺激的で、このようにまとまったかたちで多くの方に読んでいただきたかった。

かつて中村幸彦先生は雑談の折りに、「中世の軍記物が読者に与えた面白さを、江戸時代に引き継いだのは災害物の文学だった」という意味のことを話された。たしかに江戸時代初期の仮名草子「むさしあぶみ」は、江戸の大火で焼死する人々の姿を生々しく描き、各地の飢饉の惨状も、紀行「東西遊記」の西遊記続編巻三に収める「飢饉」など、多く描かれた。

「むさしあぶみ」の冒頭には粗削りな表現ながら、生き残ってこのような悲惨を描くことの苦しみが綴られており、それはたとえば江刺昭子『草饐』(大月書店 一九八一年)に描かれた原爆小説の作家大田洋子の心情などと重なるものでもあるだろう。

だが、この瓦版には、そのような罪悪感はない。災害後すぐに発行され、被災地でも大いに読まれているのを思うと、各地の被害報告など情報伝達として重宝がられた面もあるだろうが、それ以上に災害の悲惨さを驚くほどに笑いのめした言葉遊びや語呂合わせの数々が多い。

この二冊の瓦版集の題材となった地震は、「日本歴史災害事典」(北原糸子・松浦律子・木村玲欧編 吉川弘文館 二〇一二年)によれば、関東地方から九州南部までが震度五以上の揺れに見舞われ、東海道の宿場は軒並み全潰し、大坂では三万軒の居宅が倒壊、焼失し、二三千人が死亡したと推測されている。また津波により、港に停泊中の大船が堀川に押し上げられ、避難していた町人の小舟を破壊する被害も出た。

底本に用いたのは、以下の二点である。

  • 地震津波末代噺の種 大阪府立図書館郷土六四四-六。板本(折本)一冊。十六・四✕十・七cm。茶色格子縞表紙、中央赤題簽。全十九折。部分的彩色。

外題「地震津波末代噺の種 全」、内題なし。刊記なし。

 

  • 地震津波末代噺の種 大阪府立図書館郷土六四四―八。板本(折本)一冊。

十六・九✕十・九cm。茶色格子縞表紙、中央赤題簽。全十八折。冒頭彩色。

外題「□□(破損して判読不可)末代噺の種」、内題なし、刊記なし。

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