縛っとかないと。
◇とち狂って注文した「マジック・マイク」のDVDが届いた。適当に流して見直している。それでも何度か見ていると、男性ストリッパーたちの区別もついて来て、私がしょっちゅう「スーツ」とまちがえる人気ドラマ「ホワイトカラー」の主役してる彼もいたんだなと気づいたりする。
マシュー・マコノヒーの身体って、他の人たちより年とってるからじゃなくて、もともと顔や手足も含めて、どこか微妙にバランスがおかしいというか、悪い。それが逆に変な色っぽさをかもし出すのが何ともすごい。
彼が新人に舞台での腰の振り方、突き出し方を真剣に指導するのを見ていると、こっちの頭も変になりそうだが、その成果が舞台で披露されて、ダンサーたちが露骨に腰を突き出して挑発するのを見ていると、昔むかし名古屋にいたころ、同僚だった偉い国文学の先生方と、何かの調査旅行で近郊を回っていて、ある町で古式豊かな祭りを見物したときのことを思い出した。群衆のとりまく舞台の上で、豊年祈願か何かの舞が奉納されていて、烏帽子姿の神主数人が踊るのだが、その中で何度も、あれとそっくりの、腰を前に突き出すしぐさをしていたっけ。
あとで、先生方が(そのころはセクハラなんて概念もなく、そもそもそれを気にしてたら江戸文学の研究に関する会話が出来なくなるかもしれないのだが、男女どっちが目上の権力者だったとしても)、その舞のそのしぐさについて、「昔はあれは、きっと、もっと露骨な動作だったにちがいない」と、そこそこ熱心に言いあっていたのを覚えている。何となく、思わぬ文化の交流を見る思いがする。
◇「トゥルー・ディテクティブ」第二シーズンも見終わった。いやー、なかなかであった。
それにしても、いつも思うのだが、たいがいちゃらんぽらんな(ドラマの作りがではない)「キャッスル」だって、古株の「クリミナルマインド」だって、そしてこれだってそうだが、もう今や定番すぎてマンネリなぐらい、政府や公的機関、大企業などがつるんだ巨悪が、主人公たちを苦しめる。手放しで立派なリーダーがいる自治体や国なんてまず描かれない。私が見てないだけかしらん。
昔だったら共産主義とか資本主義とかテロリストとかエイリアンとかゾンビとかだったのが、まあそれも一部は今もあるけど、本当に最近は、権力=悪という図式が一般化してきていて、これだけ洗脳されまくったら、誰でも普通、政府とか富裕層とか公的機関とか宗教団体とか軍隊とかいうのは、ほっといたらろくなことをしないから、それはもう資本主義だろうと社会主義だろうと何だろうと、とにかく巨大な権力を持つ体制については、法律だの規則だので、チェックと統制をかけまくって、四六時中監視しまくって、両手両足縛って檻に入れとくぐらい不自由にして、警戒し疑問視していなくては絶対にだめだとか、思うようになるのが普通ではないだろうか。
それがちっともそうならなくて、無防備に政府を信じ、強い者の言うことを聞いて信じてついて行けば、だいたいまちがいはないと感じている人たちが、多分大多数なのは、いいとか悪いとかを超えて、こういうドラマによく何の影響も受けずにいられるなとちょっと不思議な気がしてしまう。