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羅針盤

最近、毎日あれこれいろんなことをするもんですから、昼過ぎあたりになると、朝から何日もたったような気がして、これは損してるのか得してるのかわからない(笑)。すべてが高速度撮影になってるような気分かな。その逆かな。

で、とりあえず私が高校時代に手書きで作っていた個人誌「柳かげ」から、今読んでもかなり面白そうな記事を二つアップしました。「Y村の選挙」「Y村の政治史」です。

大学時代の個人誌「かまど」はまだ何人かに見せたのですが、これは多分、人に見せたことはないのじゃないかな。まったく一人で作って、一人で読んでいました。もったいないとさえ思わなかった。別に隠していたわけじゃなく、いつでも公開できるものとして作っていたのに。

高校生だった私がこれほどきちんと今読んでも、そうまちがってはいなさそうな村の政治の状況把握をできていた理由は、きっと母が細大漏らさずいろんなことを私に話し、しかも問題点を整理して広く俯瞰する視野も持ちつつ伝えていたからでしょうね。もちろん読書その他で養った私の観点もあるにしろ、母がいなければ、とてもこうはなっていなかった。

まあ母も幼い私に話しながら、自分の情報を整理分析していたのだとは思うけど(笑)。
大学に入り就職して故郷を離れても、私が田舎や地域の事情を肌で知り、つかんでいられたのは、母がずっと周囲の状況を話していてくれたからです。彼女は私の最高の羅針盤でスポークスマンでもありました。

大学や都会で、それこそ日本で最高の頭脳や知性を持つ集団に触れながら、私が絶対この人たちだけでは国も世界も動かせないといつも実感しつづけていたのは、どんなにエリートが突出してがんばっても、彼らにどんなすばらしい羽があっても、この田舎の膨大な無知で無学な人々をひきずって飛んでいかなくては日本も世界も変わるわけないといつも知らされていたからです。それは「開かれた処女地」その他の、すぐれた文学作品で得た知識とも一致していた。
庶民、貧困層、発展途上国、弱者、そういうものを引きずりつづけて進まないと、この世は結局どこにも行けない。残念だろうとなかろうと、それはただの真実です。

あーもちろんわかりますよ。今はそれが逆転して、無知で無学な人たちがトップについて、羽もないのに飛べもしないのに、泥の中で何かを引っ張ろうとしているばかりか(なぜそうしなきゃならないか理由も目的もわからないままで)、自分たちと同じかそれ以下にみえるそれ以上の人たちも切り捨てて軽くなろうとしてる、とんでもない世の中になってるってことは。

地方政治に携わる方、日本共産党関係の方は、特にぜひ読んでいただきたいですね、この二つの「柳かげ」の記事。六十年も前だけど、いろいろ参考になったりするのじゃないでしょうか。

オリンピック開会式の女性蔑視プランその他、話題はいろいろありますが、また後で。

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カツジ猫