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自衛するしかないのかね

そう言えば昨日だっけ、久しぶりに二階にあがって寝台にのびて、「カミュ 歴史の裁きに抗して」を読んだ。「ペスト」のどこがナチスを重なるかが、いろいろ書いてあって少しわかった。この疫病は神の与えた試練だ的なことを言う聖職者が、当時のナチスに対するフランスのカトリックの立場と重なっていたのか。ベタすぎるけど、まあそうなんだろうな。
もう何年もかかってちびちび読んで来たこの本も、残り少なくなって来て、それはちょっと淋しくもある。

以下は超個人的かもしれないぼやきなので、お忙しい方は読まないで下さいね(笑)。

先ほど書いた、むしゃくしゃすることですが、まあ要するに身から出た錆ではあるのですけどね。ちなみに少し前にネトウヨのどなたかが、この文句を身から出た鯖とまちがえて、ネットでおもちゃにされていましたが、どうせまちがうなら、このまちがいは笑えてよいわ。

多分私ががっくりしてる相手の人たちは、ここをごらんにならないだろうから、書いてもしょうがないし、書くべきでもないんでしょうけどね。要するにこの二月に田舎の家の書庫の資料がごっそり捨てられて、私の未来も老後も崩壊し、生きて行く気力もあらかた消えたってことは、これまたしつこく何度も書いたから、覚えておられる方もおいででしょうが。

私はそれを、それなりに、必要と思った人には告げておいたのですが、自分はこういう状況で、精神的に死にかけてますということは。ただほらそういう時に私は別に深刻な顔はしないし、やせ衰えて青ざめてもいないし、髪ふりみだして酒瓶を手に持ってもいないものですから、私をよく知る人以外は、どういうことかよくわからないで、はあそうですかと聞き流してしまうのらしい。

東京アラートやら通天閣やらのパフォーマンスは私はいっこうに感心しませんが、ことばの力のふがいなさは、痛感しますね。橋や塔を真っ赤にするとか、いっそ家に火をつけるとか首をくくるとか窓から飛び降りないと、口で「いえもう私、未来が消えてちょっともうおしまいの状況でして」とか言っても、人はまったく理解しないんですよ多分。

それでなくても、これまでの体験で私がもう大変だ我ながら狂うか死ぬか危ないぞと思いながら何か言うと、ほぼ必ずと言っていいほど、くっだらねえ冗談で返す人っていますからね。そういう事実を認めたくないのか、笑ってしまえばないことにしてしまえると思うのか、ただのアホかはわかりませんが。普通の人なら別にまあそれでいいけど、かりそめにも教育大の教師志望の学生にそういうやつってわりといて、私いつも、ああこういうのが生徒が必死に笑いながら助けを求めてもなーんにも感じないで、とんでもないことが起こってから役にもたたない反省をするんだろうと思っていましたからね。

いや話を戻すと、ここのブログでもそうですけど、私一応普通の日常生活送ってるし料理も掃除もしっかりしてるし、猫とも遊ぶし、政府の悪口も言うし、頼まれれば最低のいろんな協力もしているし、そうすると皆、何だかだって私が元気で何でもできると思いこむんですよ。そうとしか思えんわ。

こういう人が、慰安婦とか奴隷とかが、楽しそうに笑ってた歌も歌ってた冗談も言ってただから不幸なはずはないとか思うのよね。もう、わかりすぎて困るけど。

いいのよ別に。こういう人たちにいたわられたり慰められたりしたって何かの助けになるわけじゃなし、近づかないでいてくれたらそれでいいんだけど、近づくのよねこういう人たち。こちらが死にそうになりながら、いろんなことをやってると、まだ何かやってくれる力はあるだろうと思いこむ。私が「もうおしまいです。何も考えられないです」とかちゃんと言ったことは、聞いていないか忘れてるか意味わかってない。

そういうことがこのところ、いくつか続いて、私はもうぶちきれたのよね。静かに、にこやかに。私の未来は私が守るしかないって、思い知りました。
具体的に何をするかは、これからですが、まあまたちょっと生き方や片づけの方針を変えます。何か進展があったら、ご報告しましょう。乞うご期待。

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カツジ猫