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良い天気が続いて助かります

先週中頃突然ひどい風邪を引きました。夜中に急に寒気がして来て翌朝は起きるのもやっとでした。此れは人にうつすと思い、仕事の約束を断り病院に行って薬を貰いました。
余り状態が悪ければ入院しようと思ったので母に電話して電話を暫くかけないかも知れないと説明したのですが、私が風邪を引いたと言っても聞かない振りをして別の話ばかりするので(此れは何時もの事なので)私も面倒に成り「入院するから電話は当分しない」と言って切りました。

実際に其れから数日電話の所に行くのも嫌な位疲れて、有り合わせの物を食べて暖かくして寝て居たらどうにか入院する程の事は無くてすみました。
昨日漸く起きて居たら母のヘルパーステーションから電話が掛り「昨日お母様が『娘が入院したから近所の人に自分の事を頼まないと』と出て行こうとされるので引き止めて此方で連絡しますと申し上げた」と言う事でした。其れで事情を御話して御詫びし母にも電話して「何とか起きられたから明日は帰る」と申しました。

母はこういう時に私に無理はしないで良いと以前は言ったのですが、最近では言いません。又、昔でも私が、それでも帰ると言うと、決して止めはしませんでした。この「決して『もう良いよ』とは言わない」人間の残酷さを私は何時もかみしめて居ました。強要はしない。でも拒否はしない。相手が残酷に成り冷酷に成るまで決して容赦しないで追い詰める。

長距離の運転が大丈夫か体調に自信が無かったので其の夜(昨夜)は早く寝ました。
すると明け方に電話で起こされました。受話器を取ると母でいきなり「貴女今何処に居るの」と言います。「今夜帰ると言ったから私は御飯も食べないでずっと起きて待って居るのに」。
時計を見ると朝の五時でした。

既視感を持たれた方もおいででしょう。母は此れ迄に何度も私が帰る日を間違えては「待って居るのに何をして居るの」と深夜に電話して来て私をどれだけ苦しめたか知れません。私は今では帰ると言う予告を一切せずに帰る様にして居ます。今回はこんな事情で止むを得ず久し振りに「明日」帰る、と言ったのですが、途端に早速「今夜」とすり替わったのでしょう。
「貴女が一緒に御飯を食べよう、待って居てねと言ったから」と繰り返すので「帰るのは明日だし、夕飯を待って貰う事は絶対に無いと言って居るでしょう」と言うと「じゃ、あの電話して来たのは誰だったのだろう」と言います。「誰でも良いから寝て。何時帰るかは分からない」と言って電話を切りました。

母も私も御互いにこんな生活はもう限界かと思いながら今朝、車で出発しましたが、走り出して直ぐ体力的にまだ無理だったと分かりました。どんどん気分が悪くなり、何時もなら三時間もかからない道が、疲れては休み、車を止めては眠りで、暗くなる頃に漸く家に着きました。

対向車が無い間ずっと、顔を歪めて声を限りに絶叫し泣き喚いて居ました。そうしないと気を失いそうでしたから。「帰りたくな~い!行きたくな~い!休みた~い!眠りた~い!横になりた~い!放っておいて~!一人にして~!」と喉が痛いのに血が出る程叫び続けました。

褒められた事では有りませんが私が母に及ばずながら尽くす理由は、勿論母が好きだし尊敬して居るからでも有りますし、身の程知らずに引き受けてしまった仕事の為に母に犠牲を強いて来た申し訳無さも有りますし、ですが何よりもの理由は母が死んだ後幽霊にでもなって出て来た時「何か文句が有るなら言って見ろ。此方はもっと文句が有る」と怒りで怒鳴りつけるだけの迫力を持って居たいと言う大層邪まな物です。(笑)
私は夜中に先祖の墓や仏壇の前に居ても多分平気なのですが、それは死んだ皆が好きなのと同時に、そっち以上にこっちが恨み事言いたいんだよ!と言う憤懣を抱いてるからの様な気がします。

けれど、泣き喚きながら運転して居て思ったのは、此れでは其れ以上に私自身が死んだ後、私の車や家や庭のあちこちで「休みた~い」「眠りた~い」という私の声が何の関係も無い住民を悩ませるのでは無いかと言う事でした。そんな地縛霊に成って公共の害に成らない様、せいぜい気を付けます。

帰り着くと母は一応普通にして居て元気でした。私も普通に話をして今から寝る所です。病院に寄る間が無かったので薬が後一回分しか有りませんので今夜は飲まずに寝て見ます。

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カツジ猫