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訃報

新聞にのっていましたが、連合赤軍事件の永田洋子が亡くなったのですね。
「私のために戦うな」の本の中でも書きましたが、(「板坂耀子研究室」の中にある「闇の中へ」の一文です)私と同じ年齢であるだけでなく、あの時代をふりかえる時、いつも「私は彼女であったかもしれない」と思うことをやめられませんでした。属した組織やおかれた環境や、いろんなことはちがっていても、私の中には彼女と共通する要素がいくつもあったと思います。

当時の彼女にあびせられた、犯した犯罪とは別のことに対してとしか思えない激しい世間の攻撃や、多くの政党や団体が彼女と自分たちに共通するものを決して認めようとしなかったことも、忘れられません。だからこそ私は、彼女と自分とのちがいよりは共通点を見失うまいとしつづけて来ました。

彼女が病をかかえながら、今まで生きたこと、脳や記憶に障害を生じる病気でありながら、最後まで自分とその行動について考えようとしつづけていたことを、私はあらためて考えています。悔い改めたり懺悔したりという、多分その方が楽だったことを最後まで彼女はしなかったのでしょうか。まるで何かの恵みのように記憶や思考が奪われる病気に冒されて、でも彼女はきっとそれを恵みとは思わなかったにちがいない。

彼女がこれ以上攻撃されるのも、逆に注目されて評価されるのもいやですが、ただ、今までこうして生きていたことについて、それは彼女にできることとして彼女がめざしたかもしれない大きな仕事だったことは認めたい。

私は彼女を許すとかそんなことができる立場では、どんな意味でもない。でも、自分がその人であったかもしれない似た部分の多い人として、彼女が許されたらいいと思う。というより、彼女はそんなことよりも、自分が正確に評価され、理解され、裁かれて賞罰を与えられることを望むだろうし、そうでなければ安らげはしない人だと思うから、そうなってほしい。せめて、自分自身でも、自分のことをそうやって、正当に正確に理解して受け入れられる世界に行ったのだったらいいと願う。
そういう世界は、私にとってもきっと天国に近いと思うから。そういう場所で、いつか彼女と会えるかもしれないと思うから。

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カツジ猫