落成式
故郷の家はもう人に譲っているのですが、その川向いの小さな神社が、寄付を集めて改修工事をし、めでたく完成したとのことで、お彼岸の墓参りを兼ねて行って来ました。考えてみれば、みごとな神仏習合やなあ(笑)。
小さい時からよく遊んでいた神社ですが、中庭に入ったことも社殿に上がったこともなく、貴重な体験ではありました。地元のいろんな役職の人たちが二十人ほど見えていて、神主さんがお祓いをして祝詞をあげ、女性たちが尾頭付きの鯛やお米や野菜などをお供えし、地元の人が神社の来歴などを調べたのを発表し、素朴な中にもなかなか充実した式でした。
ただ川っぷちで吹きさらしの拝殿だからけっこう寒いのよね。私はぬくぬく着込んでたから平気でしたが、皆さん寒かったのじゃないかしら。
いただいた資料によると、この神社の創始は奈良時代の養老7年(723年。ひとけただよおい)、本殿が建ったのは元禄3年(1690年)で、日田や中津の重要文化財になってる建物と同じぐらいの古さらしい。もっと新しいものでも文化財になっていたりするのに、ここは何にもなってない。でも、それが逆にカッコいいなと私なんかは思ってしまう。
もらった資料も紹介したいけど、さしあたりは、並べられていた、工事中に掘り出されたらしい昔のよろいや獅子頭などをお見せしとこう。化石みたいな鉄砲も二挺あって、参列者のおじさんたちが子どものように面白がって、持って見ていて、なかなか写真が撮れなかった(笑)。とか言って、私もかなりしつこく撮ってるけどさ。
朝早起きして出かけたせいで、帰りは眠くて困って、コンビニの駐車場で仮眠をとったりしながら帰った。途中のカーラジオというかカーテレビの音声で聞いたニュースでは、コロナで在宅で仕事する夫婦が増えたため、家事代行サービスが流行りはじめているそうだ。掃除とか子どもの世話とか。これって、それだけの経済的余裕があるのなら、なかなかいい傾向なのじゃあるまいか。
しばしば指摘もされることだが、古い小説なんか読むと、けっこうつましく暮らしている家庭でも、絶対、普通にお手伝いさんがいるんだよね。「若草物語」にはハンナ、「赤毛のアン」にはスーザン、「小公子」のセドリックがお母様と貧しく暮らしているアメリカの下町でもちゃんとメアリって女中さんがいる。ザッパーの「愛の一家」だってそうだった。それを思えば家事代行サービス使うのなんか、まったくおかしいことじゃない。こういうところから家事の職業化が定着、推進したならば、それはそれで、コロナの大きな功績だろう。