被災地のペット
◎ヤフーのニュースを見ていたら、被災地の飼い主とペットの再会のために、情報を伝える、以下のようなサイトが立ちあがっているようです。
どうぞごらんになって下さい。
◎今日、「グリーン・マイル」を読み終えたのです。映画は小説を非常に忠実に立派に映画化していて、それでもなお、夢中で文字を追わせてしまうのが、作者のすごさだなと圧倒されました。
じゅうばこさんとも話したのが、ネットでこの映画の感想などを見ても、死刑廃止といった声がほとんど出ないのが印象的ですね。
いや、そういうことを訴えている、小説でも映画でもないんですが。
ただ、私が小さいころ、死刑囚ものの映画や小説やドキュメントがわりとあって、作る方でも見る方でも、殺人犯や死刑囚の人間性に非常に気持ちをよりそわせていたように記憶しています。
逆に言うと、そのころは、被害者の権利といったものには、まったく世間は鈍感でした。そういう映画では被害者側はむしろ、悪役のように描かれていました。
これと、「不治の病」ものとが私の青春時代のドラマや映画の泣かせる話の双壁で、どちらにも私は相当うんざりしていましたが、現代のように刑務所ものの話を読んでも、すぐ「被害者のことを考えてみろ」という反応しか起こらない状態にも、それはそれでまたちょっとうんざりします。
こういうのは難しいですが、「グリーンマイル」が描くような極悪人の変化や悲惨な最期に、とっさに「被害者のことを思いやれ」という反応をする人というのは、結局とりあえず何かを受けとめ、考えることをやめようとしている場合があるように思います。
自分の価値観、常識、感覚をゆさぶられるのは不快なことに決まっています。だからこそ、そこでとっさにそうやって反発し防御する本能というのも、わからないではありません。しかし、そういう本能を自覚できず抑制もできない態度というのは、死刑制度にせよ何にせよ、事態を混乱させこそすれ、解決にはつながらないように思えてなりません。
まあ、こういうところは、人の心はゆれますからね。映画「それでもボクはやってない」を見たときも、あの流れで、裁判所ですすり泣く女子高生の声を聞くと、彼女に対して嫌悪感しか生まれませんから。(笑)文学には、そういう恐ろしさがあります。
◎ともあれ、そのように世間の常識は本当に変化する。今回の震災でも、それ以外でも、「動物を大事にする」ことにかけての日本の常識や感覚の変化も、昔を考えるとすごいと思います。
2ちゃんねるの「過激さ」など、はじめから私は信用していませんが、そこでも動物に対する悪口や敵意はほぼまったく存在しません。ペットをはじめとした動物を、人間のように愛することを、いつもどこかで後ろめたく思う時代に育ってきた人間としては、ありがたい反面、これもまたいつ変わるのかと、やや疑心暗鬼でもあります。