見つけたぞ(笑)。
◇夕方、家を出る前に、念のためと思ってカツジ猫をさがした。
やっぱり、また、どこをさがしてもいなかったが、少し前にパソコンの近くでがさっと音がしたような記憶があったので、窓辺の作りつけの大きな作業台みたいな机の下をのぞいてみた。
そうしたら、でかい目のおなじみの顔が見返していた。私が布のバッグや洗濯したマットを入れておく箱を見つけて、その中に入ってみることにしたらしい。
そのまま私は出かけたが、夜に帰ってみると、動いた気配もなく、そこに丸まっていて、おやつの催促にも来なかった。
これは今夜もベッドには来ないかもな。
そんなに暖かい場所でもないし、寝心地もよくないはずなのだが、何かが気に入ったと見える。
今朝も多分ここにいたのだろう。
時空のすきまを行き来するハイパー猫でないことがわかって、一応安心した。
◇本がどれもこれも読みかけだ。
ドリアン助川「線量計と奥の細道」は、私の好きな源義経の家来の佐藤兄弟の郷里がどうなっているのか、現地の様子が気になって買ったようなものなのだが、信夫山のあたりはけっこう高いシーベルトのようで、胸が痛んだ。
ごめん、あなたたちの故郷を私は守れませんでした。怠け者で、無力で、ごめん。そんなことばが苦くこみあげて来る。
中公新書「闘う文豪とナチス・ドイツ―トーマス・マンの亡命日記」も、冒頭から、なんかいろいろ、わかりすぎて身につまされすぎて、やたらに苦しく、面白すぎて一気に読めない。
同じ亡命者のレマルクの「軽さ」について書かれているのも面白かった。私はレマルクも好きなんだけど、たしかにマンに比べたら、そりゃちょっと大衆的すぎるかもね。そこが好きでもあるんだけど。