見なかったことにしたい栗のイガ
◎この前、カツジ猫をエイズワクチンを打ちに病院に連れて行ったとき、途中の道で栗のイガが落ちているのを見た。まさかまだ、いくら何でも、目の迷いだと言い聞かせていたら、草取りもせず放置していた奥庭に毎年崖の上から落ちてくる、栗のイガ(中身も入っている)が、相当落ちているらしいのに気がついた。ぎゃああああ。あれは早く拾わないと、イガが土にまじりこんでえらいことになるのだ。しかし毎日こう暑いと、庭仕事などしていたら、熱中症になりそうで恐い。
◎そんな中、電話機に雑音が入り、きっと何者かが盗聴しているんだろうと思っていたが、今日NTTに電話したら、猛暑の中、長袖の作業着をきっちり着た作業員の人が来てくれて、修理してくれた。コードが湿気でさびていたらしい。どんな家なんだ。
ともかくそれで、電話は無事に元に戻って一安心だ。
◎夜に、玄海原発訴訟団の地域の集まりに出かけた。なかなかためになる話をいろいろ聞けた。原発の近くではガンの発生が多いというデータがあるという。噂だったらこんなに罪な情報はないが、まったくの嘘だという根拠もないのが、いらだつ。どこか責任ある機関がきっちり調査してくれないと、現地も私たちもたまったものではない。
だいたいニュースや各種の報道を聞くたびに、いらいらしてしまうのは、「原発がなくて大丈夫か」と心配する人たちの心配の内容が、どうも具体的にわからない。私は36度の熱波の中で、エアコンをつけずに暮らしていて(これはここ数年そうだったのだが)、たしかに仕事の能率はものすごく低下するが、まあ何とかやっては行ける。しかし、「原発なしでもやっていけるのか」と心配している人たちは、何かもっと深刻な事情があるのか、具体的にひとつひとつ聞いてみたくてしかたがない。
つまり、実態がさっぱりわからない。政府の話も新聞報道も。もっときちんと実態を把握してから、いろいろな話をしてくれないと、話ができない。
◎清水正之「国学の他者像」を読む。私が「江戸の紀行文」でネタにした宣長の「不自然な心も自然」という例の一文を、じっくりとりあげて分析していて面白かった。そして、国学が作為のない素直な心を評価しながら、なかなかそう単純ではなく、人とのつき合いや世の中との妥協をさぐっているらしいという話が、やけに面白かった。
中野三敏先生の新書もちびちび読み直しているのだが、江戸時代をどう考えるかという、根本的なところで、私は何やらつまづいてしまう。まあ、この話は長くなりそうだから、またにする。
◎オリンピックも横目で見ている。しかし室伏選手の槍投げとか、体操競技とか、近くで他の競技が行われていて、歓声がわあわあ上ったりしている中で、最高の集中をしなくてはならないのは大変だと思う。これが日本が主催者の競技大会だったら、絶対許さなかったのではないだろうか、と、神経症的なまでに静寂や正確さを要求する大学センター入試を見てきた者としては考えてしまう。