見られるよ
じゅうばこさん
「テルニエ・ロマエ」を引用して下さっている「江戸温泉紀行」の紹介、見に行ってみたら、下のアドレスで見られたよ。
http://club.japanknowledge.com/jk_blog/toyo/037toyo.html
「朴斎道也松島紀行」、松島の部分で一度だけ芭蕉の名が出ました。でも「芭蕉や他の俳人たちの碑があって」とあるだけなので、これは単なる風景描写かもしれない。ただ、松島の部分にちょっと「おくのほそ道」を意識した文章もあった気はするんだよな。
まあ、でも医王寺やその他の部分で、まったく芭蕉に言及しないからな~、影響を受けているとは言えないんじゃないかな。
キャンベルさんの書評が効いているのか、アマゾンの「江戸の紀行文」の売り上げ順位はまだ高いままです。この順位は実際の売り上げにはあまり関係ないと聞いたこともあるのですが、まあ高いにこしたことはない。
ネットの感想で、「(図書館での貴重書の閲覧の心得など書いた)コラムが役に立つ」と言って下さる方もいるのですが、今日ふと考えていて気がついたのは、入試の不正を携帯の操作で行った学生のような人なら、図書館や文庫で貴重書を見てメモをとる時、鉛筆も消しゴムもいらないんじゃないですかね。携帯に打ち込めばいいのだから。これは本を汚す心配がなくて、将来は推奨されていい方法かもしれない。
今日は歌舞伎を見て来ました。勘三郎が体調を崩して休んでいる中、橋之助や勘太郎ががんばっていました。「夏祭浪花鑑」で笹野高史が憎たらしい舅を好演していましたが、関西風のこってりした筋書きなので、この相手が勘三郎だったら、二人してどれだけこてこてみっちりじっくりした場面になったことやらと思ったら、悪くはないだろうけれど、やや恐かったです。(笑)
その点では勘太郎の若々しさが楽しめて、よかったかもしれません。もっとも私はこの劇を実際に見るのは初めてで、主人公は若気の至りというよりも、もっと安定した年齢でああいうことをしてしまった哀しさがあるのだとしたら、そこは今回はなかったですね。「女殺油地獄」風の若者の悲劇に見えました。もともとそういう要素もあって、どっちでもいい話なのかしらん。
カツジとシナモンはゆうべ、出会いがしらにバトルをして、それ以後少し仲がよくありません。シナモンがストレスを感じすぎないかも気になりますが、カツジもこういう時は案外傷ついているようなので、ケアが大変です。何となく「ぼく、やっぱりいちゃいけないんだ」モードになっているようで、なぐさめると、かみつきます。(笑)安心して寝ているときは、しっぽやおなかをこねまわされても、とろっと甘がみしかしないくせに。
ゆきうさぎさん
うちの庭に山ほど植えたはずのチューリップは、いっこうに芽を出しません。おかげで、パンジーなど植えたくても、どこに球根があるかわからないので、植えられなくて困っています。
考えてみると、「自民党をぶっつぶす」人を首相に望んだのも、政権交代を願って民主党に投票したのも、国民の意志としてはどれも、もっともで、まっとうだった。見る目がなかったという点での反省はあっても、その意志の方向の正しさは評価しておかなくては、そういう意志を持つことがよくなかったような気分になってしまうし、それではいけないと思うんですよね。