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映画「アレクサンドリア」感想。

キャラママさん。
ほんとだ。「テルニエ・ロマエ」&「江戸温泉紀行」、見られますねー。ウソの情報流してごめんなさい。

私は昨日は映画「アレクサンドリア」(アレキサンドリア、じゃなかった、どーでもいいけど)を見てきました。
福岡は中洲の大洋映画館。ここ一時ポルノ映画館になったりしてたけど、今はいい名画をやってくれてて、がんばってますね、うれしい。

「アレクサンドリア」はローマ帝国の末期、その属州で文化が栄えた学術都市のアレクサンドリアが、キリスト教に支配されて行く時期の話で、著名な天文学者だった実在の女性ヒュパティアが主人公です。こんな話にネタばれもない気もしますが、一応以下はめっちゃネタばれです。

私は高校か大学のころ、哲学を学ばねばと急に思って、バートランド・ラッセルのぶあつい三冊本「西洋哲学史」など読んでたのですが、まー、ぼんやりイメージはつかめたけど、今はもう何にも覚えてません(笑)。
でも、わずかに、ってほとんど唯一覚えてるのが、多分ラッセルは「キリスト教も時にはろくでもないことする」みたいな話の中で書いてたと思うけど(ちがうかもしれないけど)、ローマの時代のどっかの都市に、何とかいうすぐれた哲学者、天文学者の女性がいて、でも民衆に殺されて、その身体はひきさかれてぴくぴく動く切れはしのまま、人々に投げ与えられた、とか書いてあったことです。もちろんラッセルはちゃんと町の名も女性の名も書いてたけど、それは覚えていなくて、ただ、その時代にそんな女の学者がいたこと、それがそんな死に方をしたことが、なんか、いいか悪いかわからない夢のようで、いつまでもそこだけ頭にのこってました。考えてみりゃ、ラッセルも派手な書き方してるよなー、そこに限ったことじゃないけど。やたら面白い本でした(そんなら中身を覚えておけよ)。

それっきり、その話をどこでも耳にも目にもしたことなく、ほんとに夢だったような気がしながら、でもいつも覚えてました。恐いとかいやとか言うんでもなく、ふしぎなおとぎ話のように。
ちなみに、もひとつ私が記憶に残る女性の死は、よく拷問の歴史の本なんかに出てくるヨーロッパのどっかの80何歳かの女王が戦いに負けて、馬にひきずりまわされて死んだって話で、これもそーか、女王ともなると80歳すぎても気が抜けんのかという気もしてました。どの本かには、その女王が裸で馬にひきまわされてる昔風の絵が載っていて、女王の顔は見えなかったけど、その身体は若い女性のようにえらくきれいで、うーむ、さすがにここでばーさんの裸体じゃ見る方もいやなんだろうなと変な感心したりしました。

何でかもう、こういう人の末路見ると、ぜったい人ごとには思えないんだよね私は。どうしてなのか知らんけど。あー、どーせ私、がんばってきちんと生きてたら、きっとそういうことになるな、まっ、いーかと思ってしまう。

で、映画「アレクサンドリア」の紹介見たとき、あれ、ひょっとして、あの人の話?と思い、映画館でパンフレット買って「あー、やっぱり、あなたでしたか」と思ってしまった。
レイチェル・ワイズが演じていて、私のイメージから言うと彼女ちょっときれいすぎるんですが、じゃーこれをジョディ・フォスター、ケイト・ウィンスレット、ケイト・ブランシェット、アンジェリーナ・ジョリー、メリル・ストリープ、エイミー・アダムズ、その他もろもろ誰がやっても、それでいいのかどうかはよくわからない。考えてみれば私にそうはっきりしたイメージがあるわけでもないし。古代の都で哲学や科学の権威として名をなし、あげくに民衆に八つ裂きにされた女性のイメージなんて、ちょっともう描きようがないもんなー。

それはともかく、ひとつの文化都市が、その中心をなす図書館と大学が、どうやって変質し破壊されてゆくか、そこで学んだエリートたちがどんな生き方を選んでゆくのか、知識と想像を満喫できる面白い映画でした。ポルポト政権下や文化大革命下の知識人の運命も連想したし、とっぴだけど、アウン・サン・スーチーさんが殺されないでいるのも、グローバル化と情報革命のおかげだなと思ったりもして。世界を敵にまわすと知ってなかったら、支配者はきっとヒュパティアのように彼女のような人も葬るんでしょう。

あ、ヒュパティアの衝撃的な最期は映画では描かれてませんから、ごらんになる方はご安心ください。彼女がやたらいい人すぎて、きれいな話にしあがってるのが若干気に食わないと思ってるのですが、でも考えてみれば、奴隷の弟子をどなったり政治的発言をしたり、彼女けっこうやるこたやってるんだよなー。それがそうも見えないのは、演出か演技がやっぱりうまいのかなー。

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カツジ猫