警報も逆効果?
以下に書くことがまちがってるのはわかってるのよ。ただ、ぶちきれてるだけ。
やっと雨はやみましたが、まだまだこのへん豪雨が続きそうです。
だから当然、ラジオではしょっちゅう、警戒警報、避難のお知らせ、交通情報、道路情報、などなどのアナウンスが入る。
そりゃもちろん、必要なことは私だってわかってる。しかし、素敵な音楽の一番いいところや、参考になりそうな話の肝心なところや、朗読や落語の最高潮のところや、その他もろもろ、ここだけは聞きたいというタイミングで割って入られて、それも、隣県や遠方のことまでを長々と聞かされて、戻ったときはもう、話が何だかわからなくなっているのが、頻発しまくるとさすがになあ。どうかすると、ラジオ体操までがぶったぎられてできない。
まちがってるのはわかってるんだけど、こうなると、警戒警報が出そうなときは、ついラジオを切って一日聞かないでしまう。その方が精神衛生上いいんだもんよ。
というわけで、一番警戒警報が必要なときに、私は情報をシャットアウトしてしまってる。その内に、どういう報いがあるんだろ。
へやのユリを少し短く切りました。この方が見た目はいいですね。
ぶったぎられまくりの放送の中、今朝珍しくそれがなくって、上野千鶴子さんの女性のための基金の話を聞けたのはよかった。特に、どういう政治や未来や国を望むかと聞かれて、「まことに困ったことには、今の政府は莫大な予算で戦争準備をしている。あのお金の一部でも女性や高齢者のために使ったら、どれだけ助かるか。自分もそのうちぼけるだろうし、そうなっても安心して生きていられる国にしてほしい」みたいなことを、大変はっきり言いきっておられたのは、小気味よかった。すばらしい。
上野さんに限らないが、私はどういうか、マニュアル的に大勢がいっせいに動いて世の中を変えたり守ったりするやり方は、どうも肌に合わないし、好きではない。しかし、革命も含めて、そういう残酷さやがさつさや雑さがないと、結局世の中は動かないし進まないというのも、わかっている。創価学会の選挙運動は嫌われやすいし、ひいては統一教会の悪辣な画策なんかは批判されて当然だが、そうやっていっせいに行動する動きに反発する人たちの中の、自分は何もしないで高級で繊細なことを口になさる人にも、これまたすごく嫌悪感を抱く。そして結局、自分は中有に迷うのだが、やはり今朝上野さんが言っていたように、そういう多くの女性のいっせいの動きが、これだけ、ここまで世の中をよい方に進めて来たことは疑いもなく、ありがたいと強く思った。
そう思いつつ、体力不足で動けない。今日はようやく買い物に行き、とりあえず食べたいものを買い漁って、何とか引き上げてきた。やけっぱちで、ちょっと洗濯でもしてみようかしらん。
猫は今、こんな状態です。