貧乏物語
◎日曜日の「むなかた九条の会」の7周年記念の講演会は、100人ほど集まって盛況で、ほっとしました。講師の先生が熱が入り過ぎて時間が大幅にオーバーしたので、ひやひやしましたが、もう一人の世話人代表の司会者が、ちゃんとまとめてくれました。二人の講師のお話は、どちらも興味深かったです。また書きます・・・が、忙しくていつになるやら。ゆきうさぎさんも来てくれたので、ついでにまとめてくれないかなと期待しています。(笑)
その会場でお会いした、民主団体の方に機関紙の購読をすすめられました。前にもすすめられて「なかなか読めないので」とお断りしたら「寄付だけでも」と言われて、「実はお金がないんですよ」と申し上げたら、「大学の先生の年金は多いから悠々自適なのじゃないですか」と言われて、年金額と生活費をお教えして「毎月赤字で、このままじゃ死ぬ前にホームレスになります」と言って納得していただいたと思っていましたが、信用していただけなかったか、忘れてしまわれたかでしょう。
「先生の大学は年金が低いんですねえ」とおっしゃるので、大学の名誉のために、「今日びの公務員はどこもこんなものですよ」と申し上げておきました。(笑)
「宗像の市報に、公民館で講座を始められると載っていたので、じゃあ少しはいいんじゃないかと思って」と言われたのには、ずっこけました。この分では、その内に、「スーパーでステーキ肉を買っておられたから、少しは余裕があるかと思って」と言われるかもしれません。
ガソリンが高いから車にも乗らずに、日に一万歩や五千歩は歩いているし、外食は絶対にしなくなったし、洋服はもうずっと買っていないし、猫のエサも安いのに変えたし、クリーニングもコインランドリーも使わず家で洗っているし、生活防衛にこれつとめている身としては、ただ苦笑するばかりです。
そう言えば、それはまだ勤めているころでしたが、資料調査や本代でやっぱりぎちぎちの生活をしていて、死にそうに疲れながら、ようやくのことでまあまあ自分で満足の行く講演をして一万円の謝礼をいただき、これでおいしいものでも食べようか買い物をしようかとわくわくしながら帰ってきたとたん、玄関で荷物も下ろさない時に、今回とは別の民主団体の方が見えて、寄付と言ってその一万円をそっくり持って行かれたことがありました。私はそんなにお金に困っていないと思っておられたようで、特にありがたいという感じでもなく、あたりまえのようにして。
家族や愛猫の死にも泣くことがなかった私が、その時はその後しばらく玄関にべったり座りこんだまま、声をあげて泣きたい気持ちでずっと動けませんでした。あの時のことはちょっともう、死ぬまで忘れられそうにない。
いろんな団体の活動に、求められるままにカンパし支援してきたのは、自分が忙しくてそんな活動ができないかわりにという気持ちからで、そういう方々にがんばってほしいと心から思うからです。
しかし「どうせ持っているんだろうから、ムダにするぐらいならよこしな」と言わんばかりの無造作な感覚が見えると、いったいこんな支援のしかたが、果たして活動を発展させるのだろうかと、正直、首をかしげたくなります。