怒りをこめて
※予想していなかった訳ではない、と言うよりも期待してはいなかったのですけれど、首相が大飯原発の再稼働を認めたのは失望しました。
思えばこの間ずっと、被災地のその後など悲惨な状態のニュースはほとんど流れず、NHK教育テレビの良心的な番組には殊更不信感をあおるような報道が続き、脱原発の姿勢を明確に示した菅元首相には当時の混乱の責任を過度に押し付けて評価を下げるなど、明らかな世論操作がなされていたと思います。
それに抵抗もできなかったマスメディアや、私達国民に強い怒りを感じずにはいられません。
企業も自治体も公務員も電力会社も、原発を使わないという基本方針が明確にされれば、それなりの必死な努力をして解決策を見い出すでしょう。それが出来る力は国にも国民にもあったはずです。
再稼働はそういう努力をする方向を閉ざしました。大きなチャンスを日本国民も人類も失ったと思います。
原発から訣別することが、震災の犠牲者を追悼し、その死を無駄にしない唯一と言っていい道でしたのに。
神や仏は与えた機会を生かさない者に対しては、二度と機会を与えないどころか、罰を与えると昔から言います。
再び先の見えない未来を見ない生き方の中で、私たちはつかの間の快適さにひたるのでしょうか。
首相が「国民を守る為」と発言したのには、言葉に携わる職業の者の一人として殺意に近い怒りを覚えます。小泉元首相の時もそうでしたが日本の指導者はどうしてここまで、言葉を蹂躙し辱め土足で踏みにじることが出来るのか。日本語に対する愛情も誇りも皆無としか思えません。
※キャラママさん
その怒りも込めて、先日の集会の報告を喜んでさせて頂きます。
今夜にでもまたゆっくり書きます。が、さしあたり書いておくと、お二人の講師の方がそれぞれに、3.11.に大きなショックを受けたと繰り返されたのが印象的でした。「どうしてこれまで自分は原発の問題に取り組んで来なかったのか。注目しなかったのか」と。それは自らの学問や人間としての生き方に責任を持ち活動して来られた方々の率直で痛切な反省でした。
私が「九条の会」の催しに出るたびに、救われるのは、このような本当の人間らしい声を耳にすることができるからです。
続きは後でまた。