車窓の風景。
◇朝の5時に起きて7時半の電車で大分まで行き、用事を片づけてさっき帰宅。カツジ猫はベッドで寝ていて、私を見ると安心したのか、いきなりのびをして大の字になった(笑)。
電車に乗るのは久しぶりだ。車中で読むつもりだった本も読まずに、窓の外の景色に見とれていた。私の好きな黒井健さんのカレンダーの絵には、緑の野原や田畑の中にぽつんと家が一軒だけある風景がよくある。ちょっと淋しいなと思ったりしていたが、私は忘れていたので、田舎ではそんな景色は現実にも珍しくないのだった。林や草原の中に一軒だけ建っている家なんてざらだ。
そう言えば、昔、母が選挙運動でビラ配ったり、今、私たちが手分けして「あなたと市政を作る会」のチラシを配布したりするとき、「あのへんは、家が離れているから大変なんだよなあ」とか言ったり思ったりするのは、こういう情景の地域なのですね。アパートや団地だと、あっという間に何百枚も配れるのが、こういうとこだと、地平線まで行って次の一枚を、みたいな感じになる。
帰りは夜で、いつも乗り降りしていた実家の最寄りの駅のホームは、暗い灯りに照らされているだけで人影もなかったが、母がそこに立ってこちらを見て笑っているような気がした。あんたもよくがんばってるねと、満足しているように思えた。
母や祖父母が今もそうして暮らしているような、田舎の空気はなつかしい。だが、電車が今住む町に近づくと、それはそれでほっとして、帰って来たなと感じるから妙だ。過去を手放すのを淋しがるのは、若い力のある時だ。自分の体力も知力も衰えて、限界を感じはじめると、活動範囲が狭まるのが、それだけ残り少なくなった力が凝縮されて来るようで、まだまだやれるという、安心感と充実感に満たされる。
◇帰って郵便受けをのぞいたら、「あなたと市政をつくる会」の地域懇談会のお知らせと、からさき祐治さんの紹介パンフが入っていた。わわわ、この付近は私が自分のメモをつけて配ろうと思ったのに、もう誰かが配ってくれたのか。仕事が早い。
まあ、地域の懇談会はこのあたりは20日なので、その前にもう一回私がメモを入れればいいか。からさきさんは奥さまが私のかつての同僚で教育大の音楽の先生だとか、ご夫婦ともに信頼できる立派なお人柄だとか。
◇さて、今日はジムも休みなので、風呂に入って寝ることにしよう。
田舎の家の回りでは、水仙が満開で、つくしも山ほどのびているらしい。