道中手形。
◇森友学園の話、次々出て来てすごすぎる。もういったい何なんだこれは。
◇今朝、燃えるごみを捨てに行ったら、ご近所の組長さんが、配布物を配っているのに会った。風邪をひいたと言ってマスクをしておられた。配るのを代わりましょうかと言ったら、自分も運動をした方がいいのでと笑っておられた。お見舞いにバレンタインのチョコレートの残っていたのをさしあげたら、喜んで下さった。
◇天気予報が言っていたとおり、雨は上がって日が射して来た。しかし、風は冷たそうだ。気晴らしに買い物に行ってもいいのだが、私も風邪気味だし、家にこもっていた方がいいのかもしれない。壁にフックをつけるとか、釘を打つ音がやかましいから、明るい内にした方がいい仕事もいろいろとある。
◇小津久足の研究を長いこと地道に進めてこられた高倉先生が1月に急死されたそうで、驚いている。退官記念講演が盛況で、その後の懇親会も盛り上がって、持てないほどの花束を抱えて帰られる途中に気分が悪くなられて、その夜に亡くなられたとか。小津久足の作品集の第三巻が校了間近で、忙しくしておられたのではないかと聞くと、お幸せな最期だったかもと慰められたり、まだまだ活躍していただきたかったのにとやりきれなかったりする。直接お目にかかったことはないのだが、立派なお仕事をされていて、小津久足を研究する者としてはいつも感謝していた。ご冥福をお祈りしたい。
このことを電話で教えてくれた若い研究者に思わず「あなた、身体だけは大事にして、まだ死んだらだめよ」と念を押したのだが、若い彼とは比較にもならないが、私自身もばてて死んだらおしまいだと思うと、なかなか仕事が進まない。老朽戦艦で大海戦を戦おうとしているような心境で、宝の地図はいくらあっても、たどりつけそうにないのがくやしい。まあ、あっちこっちの島で寄り道して、ヤシの実食ったりしている自分が悪いのはわかっているんだけど。
◇いろんな壁の絵を移動させたりしたついでに、玄関の壁にはっていた、ボール紙製の、でもけっこう高かった、猫のオブジェ?を、室内の天井近い壁に移動させた。時計の横の空間で、何も飾れないなと思っていた場所だが、ものすごくしっくりはまった。笑顔で歩く猫の横向きの姿は、模様や色合いがカツジ猫に似ているので買ったのだが、いつも庭でエサをやっていて、うちに入りたそうにしていた、外猫のシマオが死んでしまったので、彼にも似ていたので、せめてもと思って、彼のつもりで玄関に貼っていた。昨日の22日の猫の日に、部屋の中に入れてやったので、彼にはいい供養になったかも(笑)。
そのついでに、母の若いころ描いた三毛猫の絵しか飾っていなかった、下駄箱の周囲の空間に、母が全国を旅行したときに買い集めていた、道中手形の、処分しないで残していたものを全部かけてみた。ひとつまちがったら超悪趣味になるのだが、まあまあうまく行って、色あせた文字も紐も、ほこりっぽさも、錆びかけた鈴も、ものすごくおしゃれで、新しい壁に似合った。俗悪なおみやげと言えばそうだが、きれいな彩色があるもの、立派なうるし塗りのもの、かわいい花が描いてあるものなどなど、母が念入りに楽しげに、得意になって選んだ様子が見ていると伝わってきて何だか笑えるし、こっちも楽しくなって来る。幸福な音楽で玄関が満たされているようだ。何となく私も国内旅行をして道中手形を買いたくなったりするのだが、まあやめといた方がいいだろうな(笑)。