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避難ママたちの一年(続き)

◎25日の報告会の続きです。

避難してきたお母さんたちは、当然ながらまだ本当に皆若く、生き生きときれいでしなやかで、やわらかく優しそうで、傷つきやすそうで、でもだからこそ強そうで、こんな人たちの身体と心が原子炉や今の政治に向き合っているのだと思うと、たのもしさや痛ましさや心苦しさをこもごも感じたことでした。

その中の一人は宗像近くの実家に帰って来たのですが、迎えた彼女のお母さんの話によると、
「娘はメガネのこわれた部分にガムテープをまきつけ、手をひかれている幼い孫娘は、行くのがいやだと言ったとかで、お姫様のようなひらひらドレスの上にコートを着ためちゃくちゃなかっこうで、二人は疲れ果てて列車から下りてきた。駅前の広場に出たとたん、娘は夜空をあおいで、回りの通行人もかまわず、うお~っ!と獣のように咆哮した。私は皆を捨ててきた、皆をおいてきた、と言って。自分はこんな娘とこれからどうして暮したらいいのだろうと、呆然とした」
ということでした。

◎私はあのころ、テレビが朝から晩まで震災関係一辺倒なのにうんざりしていて、避難して来られた方が、別天地のような福岡や九州を見たら、ほっと救われるのではないだろうか、そのためにも私たちは普通の生活を守らなければと思ったりしていました。
でも、この夜空に吠えた若いお母さんは、その、何事もないかのような九州の人たちの様子が、もう耐えられなかったと言います。「あんなに大変なことが起こっているのに、この人たちは何?」と思う毎日で、一時は福岡の繁華街で子どもの手を引いて一人で立って、道行く人々に、「皆さん、いま、大変なことが起こっているのです!」と叫んでいたとか。
「あのころの私、ちょっと危なかったですね」と、笑っておられましたが。

今もいろいろ大変ですが、三人とも元気でいらっしゃるようでした。でも、その中のお一人が、「結局、福島から遠くはなれたと言っても福岡からはたった1000キロなんですね。この狭い国で、原発から逃げられるところなんて、どこにもないんです」と言っておられたのも印象的でした。

この報告、まだまだ続きます。(笑)

◎ゆうべは夜中の気温は3度でした。寒いはずです。
でも、いつの間にか、また月が満月になって、冬だからか、ひときわきらきら強く輝いています。
昨夜は寝室の窓から見える森の木々の向うに、まぶしい明かりが光っていて、「あんなところに街灯もなかったはずだけど、お月さまかねえ、カツジ」と猫に話しかけながら、しばらく見ていました。
次第に光は下に下がって、見えなくなったので、やっぱりあれは夜明けの月だったのでしょう。

スーパーに初めてのイチゴが出ていて、思わず買ってしまいました。いよいよ12月ですねえ。

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カツジ猫